ボストン爆撃機(タービンライト仕様)




ボストンT(タービンライトMk.1)



ボストンV(タービンライトMk.2)


<要目>
全幅22.5m 全長16.2m 自重6トン 乗員6名 武装7.7ミリ連装機銃×1、7.7ミリ単装機銃×2、大型探照灯(機首固定装備) エンジン出力950hp×2 最大速度415km/h 航続距離3,100km ボストンT(タービンライトMk.1)
全幅22.5m 全長19m 自重7.7トン 乗員8名 武装7.7ミリ単装機銃×3、大型探照灯(側面二軸可動) エンジン出力1900hp×2 最大速度503km/h 航続距離3,600km ボストンV(タービンライトMk.2)

 一九三〇年代後半、ナチスドイツの台頭によって欧州の政治的な緊張は、急速に高まっていた。各国の国軍も軍備増強に努めていたが、戦間期の国民世論によって軍縮が進んでいたため戦力増強をなかなか順調に進められない軍は多かった。
 英国空軍はこのような状況に対して、国内の航空産業による国産機の新規開発、増産に努める他、諸外国からの輸入機の導入によって手っ取り早い戦力増強を並行して行うことを決断した。
 実際のところ英国空軍が第一線機を輸入しようとしたとしても、空軍の要求性能に達するほどの航空を製造出来る国は日本、ソ連、米国、フランス、ドイツ程度であり、その上ソ連、ドイツ、米国の三国とは対立関係にある為に、政治的に導入可能なのは日本、フランスに限られていた。
 もちろん英国同様の状態にあったフランス航空産業には他国に航空機を売却出来るだけの余力はなく、実質的に輸入先は日本に限られていたともいえた。

 この輸入政策によって英国空軍爆撃機軍団に採用された機体のうちの一つに日本帝国陸軍が制式採用した九七式重爆撃機があった。
 九七式重爆は日本陸軍が対ソ戦における航空撃滅戦に使用するために整備した機体で、当時としては最新鋭の高速爆撃機だった。
 しかし、英国空軍爆撃機軍団の基準からすれば、主力爆撃機として運用するには爆弾搭載量が少なく、頑丈な機体構造をいかしたレーダーと機銃座を増設した夜間戦闘機型や地上軍の直協に従事する対地攻撃機として主に運用されていた。
 英国に導入された九七式重爆撃機は、前方機銃の増設などで対地攻撃能力を増大させた襲撃機型をハボック、通常の爆撃機型をボストンと命名されたほか、一部の艤装が英国空軍仕様に改装されていたが、概ね主要な機体構造は九七式重爆と違いはなかった。

 このボストン爆撃機の一部を改装して夜間戦闘支援用に転用したのがタービンライトである。タービンライトは、機体構造や重量に余裕のある大型機にレーダーと探照灯を搭載しており、単座戦闘機と常にペアを組んで行動する計画だった。
 タービンライト仕様機は、搭載するレーダーで敵機を捜索し、発見した敵機に向けて味方単座戦闘機を無線で誘導、接敵直前に探照灯で敵機を照空して味方戦闘機の射撃を支援するのが目的だった。
 この任務のために、タービンライト仕様に改装されたボストン爆撃機一個フライトと、タイフーン単座戦闘機一個フライトとを組み合わせたタービンライトスコードロンが編制されて夜間迎撃任務についていた。
 タービンライト仕様機は、主に九七式重爆一型に相当するボストンTが改装母体となっていた。
 通常のボストンTは、英国空軍のパイロット不足を反映して副操縦士を廃していたが、タービンライト仕様に改装するにあたって、消耗の激しい夜間飛行を複数の操縦士で担当することや夜間の捜索を容易とするために副操縦士席を復活させている。
 この他の改装点は、前述のとおり、レーダーと探照灯を並ぶ形で機首に集中装備している点以外には無かった。
 このような支援用のタービンライト仕様機が開発されたのは、この当時の英国及び同盟国空軍の技術力では捜索、射撃用双方のレーダーを搭載したまともな夜間戦闘機を実戦配備出来なかったため、捜索用と攻撃用の機体を分割せざるをえなかったためであった。

 しかし、比較的機動性に優れるとはいえ、双発爆撃機を原型とするタービンライトでは、探照灯で敵機を照空しても、敵機が軽快な単座機であれば容易に回避されてしまうことも多く、タービンライト構想の限界がこの時点で幾人かの関係者から指摘されていたが、逆に開発担当者はタービンライトの性能向上でこれに対応しようとした。
 探照灯と捜索用レーダーの前方固定装備を廃し、旋回式のレーダーと機体左側面に二軸支持されて限定旋回する探照灯を装備したタービンライトMk.2仕様機がそれである。レーダー探照灯の装備位置が変更された他、原型機も九七式重爆一型に相当するボストンTから、九七式重爆三型に相当するボストンVに変更されている。
 これまで単にタービンライトと呼ばれていた前方配置機体は、この側面配置機の整備にともなってタービンライトMk.1と呼称されている。この前方配備の探照灯は大きな抵抗源となっており、タービンライトMk.2では機体抵抗の削減効果も狙って探照灯を側面に配置している。
 もっとも探照灯を照射するために側壁扉を開放した際は、乱流によって探照灯装備部が大きな抵抗となり、最高速度はノーマルの九七式重爆三型よりも20キロ毎時ほど低くなっている。

 タービンライトMk.2仕様機は、全周捜索可能なレーダーで敵機を捉えた後、敵機と並行して飛行しながら距離をとって大口径探照灯を照射し味方機を支援することとなっていた。
 この探照灯の機動性は、機体の向きを変えなければならないMk.1よりも優れてはいたが、程度問題であり、機動性の低い大型爆撃機を集中して狙うようになっていた。

 いずれの仕様機にせよ、探照灯による支援を行うタービンライトは、性能の向上したレーダーを搭載した夜間戦闘機の配備に伴い必要性が激減し、特に後期型とも言えるMk.2の就役期間は極短く、1942年中盤の配備から1943年の2月にはタービンライトスコードロンの解隊が始まっていたためその就役期間は約半年に過ぎなかった。
 タービンライトスコードロン解隊後は、タービンライトMk.1は原型となったボストンTがそもそも旧式化していたため、実戦配備を解かれた後は探照灯、レーダーを取り外したうえで標的曳航機や連絡機などの二線級任務に従事した。
 その一方タービンライトMk.2は、当時最新鋭であった九七式重爆三型に準じたボストンVを原型としていたこともあり、探照灯を廃したのみで、レーダーによる早期捜索、警戒およびタービンライト仕様時に単座戦闘機の連絡用として充実させていた通信機能をそのまま生かした指揮管制機能を併せ持つ、早期警戒管制機に換装されたうえで一部の機体は長く使用されたようである。


 


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