九七式重爆撃機




九七式重爆撃機一型



九七式重爆撃機三型


<要目>
全幅22.5m 全長16m 自重6トン 乗員6名 武装7.7ミリ連装機銃×1、7.7ミリ単装機銃×3 エンジン出力950hp×2 最大速度432km/h 航続距離2,600km(九七式重爆一型乙)
全幅22.5m 全長19m 自重7.7トン 乗員8名 武装20ミリ連装機銃×1、12.7ミリ単装機銃×5 エンジン出力1900hp×2 最大速度525km/h 航続距離2,600km(九七式重爆三型乙)

 九七式重爆撃機は、日本帝国陸軍が旧式化しつつあった九三式重爆撃機の後継機として開発した重爆撃機である。
 九三式重爆後継機選択のおりには、諸外国の同様機の導入も検討され、独製ハインケルHe111、伊製フィアットBR.20、英国製ブリストル ブレニムなどが候補としてあげられたが、いずれも日本帝国陸軍の要求仕様には適さなかったため、三菱、中島両者による競合試作の形で国産開発することが早い段階で決断された。
 三菱と中島による競合試作の結果は、甲乙つけがたいものであったが、政治的な判断から最終的には三菱製が改修の上で制式採用された。
 だが、その経緯には不自然なものが多く、中島飛行機の関係者の中には反感を持つものが少なくなかったと言われている。

 九七式重爆撃機が開発された当時の日本帝国陸軍の仮想敵は、当然のことながら友邦シベリアーロシア帝国と対峙姿勢をとるソビエト連邦であり、日本陸軍の重爆撃機は、いずれも前線を突破して敵中深く進攻し、ソ連軍の前線飛行場、ひいては航空戦力を撃破することで制空権を確立する航空撃滅戦に特化していた。
 そのため、爆弾搭載量や航続距離を犠牲にしても、敵戦闘機の迎撃網を突破して目標にたどり着くために速力と防護力を何よりも重視していた。
 九七式重爆撃機もこのような傾向にそって開発されていたが、航続距離が短いとはいっても、広大な太平洋で米海軍と対峙する日本帝国海軍機との比較してのことであって、航続距離の上では欧州各国に採用された重爆撃機と大差はなかった。
 爆弾搭載量は、カタログスペック上で最大1トンと、各国の同様の機体に比べ低い数値となっているが、これは飛行場に駐機する敵航空機の列線に有効打を与えるために、多数の小型爆弾(特に飛行場攻撃には着火炎上させる焼夷爆弾が用いられた)の火網で敵機を包み込むように爆撃するためであった。
 実際には、大型爆弾を搭載する能力は有していたようであり、九七式重爆三型は、爆弾倉を改造した状態では、過荷重状態ながら合計1.5t程度の爆弾を抱えて出撃することが可能であった。
 また、正規状態での航続距離は、胴体内と中央翼内の防弾タンクのみを使用した場合で、二型以降が装備する外翼燃料タンクや、爆弾槽内部に固定するフェリー用の増槽を使用した場合は、海軍機並の航続距離を発揮することが可能であった。

 制式化後も九七式重爆撃機は順次改修を受けていたが、その内容は安定性や防御力の増大に重点が置かれており、打撃力、つまりは爆弾搭載量の増大は最終型まで実施されなかった。
 型番が変わる主用な改修は、一型から三型までの三回が行われており、特に三型はそれまでの型と大きく構造が異なる全面的な改装が行われた。
 外観上の主な特徴は胴体が延長され、主翼付け根部分に隔壁が追加されていることであろう。
 この隔壁は両舷主翼と一体化されており、機体強度の増大も図られている。また、胴体下部の爆弾倉まで延長されており、爆弾倉開閉扉は前後に分割されているが、爆弾倉そのものは前後に一つ続きとなっており、隔壁は爆弾倉に合わせて切り欠かれていた。
 この胴体延長は、それまでの型で不足していた縦安定性の抜本的な解決を、機体重心から尾翼位置を後方に伸ばすことで解決を図ったものだったが、結果的に搭載量の増大にもつながっている。
 その分だけ重量は増大しているが、それ以上にエンジン出力は増大が図られている。
 エンジンは、原型機が搭載していたハ5と比べて倍以上の出力をもつハ104に換装されており、大出力で大口径の空冷エンジンを搭載するためエンジンナセルは大型化している。エンジンナセルには原型同様主脚が格納されるが、二型以降はそれまで一部が露出していた主脚タイヤも完全に格納されるように扉が大型化している。
 これは空気抵抗を軽減し、高速化を図るもので、三型ではさらに空気抵抗を軽減するためか、方向探知用環状空中線も樹脂製のカバーで覆われている。
 エンジン出力の増大も相まって、三型では防御火力、防弾板の充実にも関わらず最高速度は525q/hと、一型と比べると100q/h近く高速化している。

 一型ではスライド式だった銃座天蓋を廃し、二型では球状銃座を装備しているが、三型では12.7ミリ連装機銃であった二型よりも火力を強化するために二〇ミリ連装機銃を銃座に装備しており、実戦においてはしばしば遠距離から敵迎撃機を撃退している。
 全体的に九七式重爆にかぎらず、日本陸軍の重爆撃機は、改装が進むたびに重武装化が進んでおり、いかに日本陸軍航空隊がドイツ空軍の迎撃機に悩まされていたのかを物語っていた。また、最後まで爆弾搭載量にこだわり防御火力を7.7ミリ機銃にとどめた英国空軍機とは対照的であった。

 防御火力の充実や速力の増大が図られた一方で、カタログスペック上の爆弾搭載量はほとんど変化しておらず、日本陸軍が重爆撃機に求めていたものが窺い知れる。
 前述のように実際にはカタログスペックを上回る爆弾を搭載することも可能だったが、この状態は過荷重状態とされており、日本陸軍では常態化はしていなかった。
 日本陸軍航空隊の九七式重爆撃機装備部隊の戦歴は多岐に至るが、その多くは航空撃滅戦であり、第二次欧州大戦中盤からフランスやベルギーなどの前進基地に駐留するドイツ空軍は、昼間に高速で出現して爆弾をばらまいていく日本軍航空隊によって戦力を消耗した状態で、夜間に英国軍機の迎撃を強いられており、その損害が増大していったといわれる。
 爆弾搭載量の少なさや執拗に航空基地を狙い続け戦略爆撃を避けていたことから、戦局への影響が疑われていた日本陸軍航空隊の爆撃機隊ではあったが、ドイツ空軍に与えた損害は少なくなく、そこから換算すると、英国空軍爆撃隊の損害低減に与えた影響は大きかったようであった。


 


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