九六式陸上攻撃機(ハドソン哨戒爆撃機)




九六式陸上攻撃機二一型



ハドソン哨戒爆撃機Mk.T


ハドソン哨戒爆撃機Mk.U


<要目>
全幅25m 全長16.45m 自重4.9トン 乗員7名 武装7.7ミリ単装機銃×3 エンジン出力1000hp×2 最大速度380km/h 航続距離4.380km(九六式陸上攻撃機二一型)
全幅25m 全長16.45m 自重4.5トン 乗員5名 武装7.7ミリ単装機銃×3 エンジン出力1000hp×2 最大速度380km/h 航続距離4,800km(ハドソン哨戒爆撃機Mk.T)
全幅25m 全長16.45m 自重5.1トン 乗員7名 武装7.7ミリ四連装機銃×1、7.7ミリ単装機銃×4 エンジン出力1300hp×2 最大速度435km/h 航続距離4,800km(ハドソン哨戒爆撃機Mk.U)

 1930年代後半、イギリスは、輸入機の導入による空軍戦力の増大を図ったが、輸入対象は政治的、あるいは航空機製造能力の制約から日本製にほぼ限られていた。
 幾つかの機種が英国空軍に売却、あるいは供与されたが、その中の一つに日本海軍に制式採用されていた九六式陸上攻撃機があった。同時期の陸軍九七式重爆撃機同様に三菱製の流線型の近代的な機体構造をもった双発爆撃機(海軍の類別では急降下爆撃能力がないため攻撃機)として開発された九六式陸攻だったが、長大な航続距離を誇る一方で、爆弾搭載量が最大で魚雷一本乃至800sでは英国空軍の主力機として使用するには過小であった。
 特に英国空軍が多用した1000ポンド爆弾を一発しか搭載出来なかったことから、爆撃機軍団では使用されずに、その長大な航続距離をいかした対潜哨戒機として沿岸軍団に制式採用された。

 第二次欧州大戦勃発直前にハドソン哨戒爆撃機として制式採用された機体は、日本海軍の九六式陸攻二一型相当の構造だったが、三菱の工場で生産される段階から英国空軍仕様に改造されており、かなりの艤装が日本海軍仕様とは異なっていた。
 米海軍主力部隊を相手取った漸減邀撃戦に使用する雷撃機である九六式陸攻とはことなり、対潜任務を含む長距離哨戒機として運用されるハドソン哨戒機は、何よりも良好な見張り能力が必要とされた。
 そのため日本海軍仕様機では操縦士席後方に設けられていた偵察員席が、ハドソン哨戒機では機首前方に移動している。この機種前方に移設された偵察員席は周囲がガラス張りの視界良好なもので、後部下方銃座も下方視界向上のためにガラス張りの巨大な窓が追加されている。
 この機首周り及び操縦士席まわりの設計変更は、設計工数削減のため、九六式陸攻では機首席と操縦席との連絡が困難であったために不採用となった丙型案の設計をほぼ流用しているが、偵察員席への連絡性の向上のためもあって副操縦士席を排除して連絡通路を設けている。
 副操縦士は他の英国空軍爆撃機同様に操縦士不足を反映して省かれており、これを補うために短期操縦訓練を受けた機関士が同乗するように規定されていた。

 第二次欧州大戦開戦後には、日本海軍向けの九六式陸攻は防御火力を増強した二二型やエンジンの大出力化、防護力の増強を図った最終生産型である二三型へと生産が移行していった。
 ハドソン哨戒機もこれらの改設計を取り入れたMk.Uが整備されたが、このハドソンMk.Uは、九六陸攻二一型とハドソンMk.T以上に元設計からの変更点が少なくなかった。
 機首席及び一人用の操縦士席周りはハドソンMk.Tを踏襲しているが、九六式陸攻二二型から採用された大型の後上部銃座や左右の側方銃座が追加されている。
 ただし、九六式陸攻では防御火力の増強のために機銃座が追加されたのだが、ハドソンの場合は哨戒時の視界向上という側面が強く、九六式陸攻では遠距離防御火力のために追加されていた20ミリ機銃に代わって、英国空軍標準となっている四連装の7.7ミリ機銃が搭載されている。
 また、九六式陸攻二三型で採用されている防護用の装備は、ハドソンでは採用されなかった。これは機体各所への防弾板の追加や炭酸ガスを利用した自動消火装置、燃料タンクへのゴム被覆の追加による自動防漏式への変更などであった。
 この当時の日本帝国では、欧州植民地であった東南アジアから安価なゴム資源が豊富に入手できる状況となっており、このゴム資源を潤沢に使用した防弾装備はこれまでの陸攻と比べて格段に被弾時の生存性が向上していた。これにより海軍陸攻の防御力も陸軍の重爆撃機並みに引き上げられたと評価されている。

 だが、これらの防護用設備はいずれも自重の増大を招くものであり、防御力よりも爆弾搭載量や航続距離を重視する英国空軍ではデメリットばかりが注目されていた。
 実際、中華民国への輸出機などが得た戦訓を受けて開発されていた九六陸攻二三型は、それ以前の型式以上の航続距離、最高速度を誇ったが、これは燃料搭載量の増大やエンジンの換装があってこそであり、防御力不足を指摘された三菱と海軍が半ば泥沼的に開発したものだった。
 これらの防護用装備は九六式陸攻二三型では全て適用されたが、後継機となる一式陸攻や零式艦戦の各種発展型の生産に追われて二三型の生産数がなかなか上がらなかったため、一部防弾板の追加などのレトロフィットが暫定的な処置として二二型以前の生産機に適用されている。
 特に燃料タンクへのゴム被覆の追加は比較的容易であったことから、前線の整備部隊でも航続距離の減少と引き換えに実施されるケースが少なくなかった。後続機の一式陸攻では燃料タンクは主翼構造と一体化したインテグラルタンクであったのに対して、九六式陸攻では主翼と一体化はしているものの、燃料、滑油タンクは後付式となっており、主翼前縁を形成する形になっていた。そのため燃料タンクをまるごと取り外して換装することが可能であったのである。
 しかし、この防弾型燃料タンクは、主翼構造の一部となっているため外形寸法を変えることが出来ず、ゴム皮膜は燃料タンク内面に施工するしかなく、燃料搭載量の減少を招いていた。
 日本海軍では陸上攻撃機の緒戦でのあまりにも多い燃料タンクへの被弾、炎上による損害から積極的に防弾装備の充実が求められたが、高速長距離哨戒機としてハドソンを運用する英国空軍では事情が異なっていた。

 英国空軍でも、前線部隊からは九六式陸攻二三型相当の防護力追加のため、各種防御装備の追加要求が強く求められていたが、航続距離の減少による哨戒範囲の縮小を嫌った上層部によって却下されていた。そのため、書類上ではハドソンMk.Uでも従来通りの防弾装備のない燃料タンクが使用されていた。
 これにより、大戦中盤からドイツ海軍の主力潜水艦であるZ型が平射砲を廃して、対空機銃座を追加して近接対空能力を向上させると、被弾による喪失が増大するようになっていた。最後までこの損害に目をつぶり続けたイギリス空軍ではあったが、実際には前線部隊では日本軍の用廃機などから防弾燃料タンクを整備部隊が物々交換などで入手してきて交換してしまうケースが少なくなかった。
 ハドソン哨戒機は航続距離から長時間、遠距離の広域哨戒が可能であり、沿岸軍団では重宝されていたが、爆弾が機外搭載式であったため、対潜哨戒任務では空気抵抗の増大を嫌って最大搭載量まで爆弾を満載することは少なく、多くの場合は小型の対潜爆弾二発のみを搭載していた。

 開戦前から哨戒機として運用されていたハドソンだったが、第二次欧州大戦中盤には改設計による性能向上にもかかわらず、搭載量の少なさからレーダーや磁気探知機などの新規に開発された対潜機材を搭載した上で、有効な攻撃兵器を積みこむのは難しく、一式陸攻が攻撃機としての任を解かれて対潜哨戒機として転用されるようになると、沿岸軍団での前線任務を解かれ、雑用機や対地標的などに転用された。


 


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