五〇式戦闘機




五〇式戦闘機原型


五〇式戦闘機正規生産型


<要目>
全幅12m 全長12.5m 自重4.3トン 乗員2名 武装20ミリ機関砲×2、対空誘導弾 エンジン出力25kN×1 最大速度1050km/h 航続距離1,500km


 艦上戦闘機と陸上戦闘機を兼用する四六式戦闘機震電、震風は日本帝国航空軍初の主力戦闘機となったが、その性能は概ね満足行くものであったものの、元々は実験機であったものが実用機に転用されたものであったため、航空軍は本命とも言える次期主力戦闘機の開発を中島飛行機に早々に命じていた。
 後に五〇式戦闘機として制式化されることになる機体は、震電で実用性が認められた後退翼を全面的に採用する一方で通常の水平尾翼を採用する一見オーソドックスな形状を取っていたが、原型機では胴体に装備されたターボファン・エンジンのエアインテークが機首に大きく開けられていた。搭載されたエンジンは震電に搭載されていたものと基本部品は同型ながら自動化と一部部品の材質変更などによって出力が向上した型式であった、
 当時としては五〇式戦闘機の原型機はオーソドックスな形状であったが、開発中に電子技術の発展を受けて戦闘機用のレーダーと射撃統制装置、さらにこれらの機材を利用した対空誘導弾の搭載が要求に追加されたことから機体設計の根本的な改良を余儀なくされていた。
 射撃統制装置に加えてレーダーの操作を操縦士一人で行うには当時の自動化では十分とはいえず、さらに搭載予定の対空誘導弾の中には母機からの誘導が必要な長射程型もあったため、複座式への変更は必然的だった。
 レーダーは樹脂製のカバーに覆われて機首に装備されたが、レーダーに追われる形でエアインテークは操縦席直下に左右二分割されて配置された。当初はこの措置による空力性能の悪化も懸念されていたが、結果的に空気流速が適切な範囲に収められており性能面の低下は少なかったと言われる。
 エアインテークの分割の影響をもっとも受けたのは搭載機関砲の位置だった。レーダー直後の原型機同様の位置に搭載して試験射撃を行った所、射撃の振動を受けてレーダーの性能が低下した上に銃口からの煙を吸い取ったエンジンの出力低下が見られたのである。概ねターボファン・エンジンのバイパスエア流に吸入されたために出力低下程度ですんでいたが、初期の純ジェットエンジンが砲煙を吸い取ってしまった場合は空中におけるエンジン停止も十分に考えられた。
 最終的に機関砲は胴体下部のエアインテーク直後に設けられたものの、複座化や電子機材の追加、燃料搭載量の確保等との兼ね合いから搭載数は2門に抑えられていた。

 制式化した五〇式戦闘機は概ね航空軍の要求を満たしていたものの、エンジン出力の向上以上に大型化、大重量化してしまった為に対戦闘機戦闘に必要な機動性が低下した点は否めず、長射程の誘導弾を使用して遠距離から重爆撃機などを迎撃出来る一方で銃兵装が弱体化したことからも、純粋な四六式戦闘機の後継とするには不十分と判断されていた。
 速度性能こそ低いものの対米戦に置いても以前の軽戦闘機に近い扱いで四六式戦闘機が航空軍の戦列にとどまっていたのはそうした理由からだった。


 


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