四九式艦上戦闘機






<要目>
全幅12.1m 全長10.1m 自重3.5トン 乗員1名 武装20ミリ機関砲×4、エンジン出力20kN×1 最大速度950km/h 航続距離1,000km


 日本海軍初のジェット艦上戦闘機となった四六式艦上戦闘機震風は、元は先尾翼式の実験機に英国技術陣との共同開発であったターボファンエンジンを搭載したものだった。これを空軍の陸上用戦闘機として採用された四六式戦闘機を更に艦上戦闘機型として空母運用に必要な主翼の折りたたみ機構や着艦制動装置を追加した四六式艦上戦闘機は空母搭載機としてみると不満点も少なくなかった。
 また、実験機であった時代は空技廠と九州飛行機の共同開発機という形であったが、九州飛行機の乏しい生産能力では欧州大戦の終結によって定数が削減されていたとはいえ空軍と海軍の膨大な需要を満たすだけの数を確保することが出来なかったために、陸軍航空隊と海軍航空隊の一部が合流した空軍用の機体は中島飛行機、海軍の空母搭載機は三菱に委託生産が命じられていた。
 同時に海軍は三菱に純然たるジェット艦上戦闘機の開発を依頼しており、これが四九式艦上戦闘機となっていた。

 四九式艦上戦闘機で重要視されたのは軽快な機動性と速度性能だったが、三菱ではこの仕様要求に対してジェット・エンジンを収容した主胴体に主翼と操縦席などを据え付けて、そこからブームを伸ばして尾翼を設けるというこれまでにない機体形状を選択していた。エンジンに他の部品がしがみついているようなものとまで言われた形状は徹底的に余剰重量を省くためのものだった。
 搭載されたエンジンの出力自体は四六式艦上戦闘機に搭載されていたものとほぼ同等であったが、石川島重工製の純ジェット・エンジンはターボファンエンジンよりも断面積が小さく、機体形状も相まって空気抵抗削減に寄与していた。そのため最大速度は四六式艦上戦闘機よりも高く、上昇率なども優秀な値を示していた。

 その一方で研ぎ澄まされた刀のような機体構造から四九式艦上戦闘機には発展性が欠けていた事は否めず、またターボファンエンジンと比べると燃費が悪化したことから、攻撃隊に随伴するには大容量の増槽が必要だった。
 四六式艦上戦闘機から乗り換えた搭乗員達は、初期のジェット戦闘機だけに些か鈍重であった四六式と比べるとジェット・エンジン自体や燃焼器の性能、安定性が向上したこともあって四九式の戦闘能力には高い評価を与えていたものの、艦上迎撃機とまで揶揄された短い航続距離はその高い性能を発揮させる場面を限定させることにもつながっていた。
 同時期に空軍で制式化されていた五〇式戦闘機同様に、この時期の日本軍は実験機を原型とした四六式戦闘機から完全に決別することが出来ていなかったのである。


 


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