四五式夜間戦闘機電光




四五式夜間戦闘機電光


<要目>
全幅17.5m 全長14.5m 自重7.1トン 乗員2名 武装20ミリ機関砲×6(銃塔×2、内翼内×2、機首下部×2) エンジン出力2,400hp×2 最大速度660km/h 航続距離1,600km


 日本海軍が多座戦闘機から派生した初の夜間戦闘機として採用した月光は、必ずしも成功作とは言えなかった。元々の長距離対艦攻撃機に随伴する多座戦闘機という思想そのものが当時としては些か無理があり、同時期に日本陸軍が採用していた双発戦闘機と比べても大型化した機体では戦闘機としての能力に限界があったのである。
 もっとも同機の試作段階から形を変えてまで搭載されていた後部旋回銃座は日本海軍では錯綜しがちな夜間戦闘には必須の装備と考えられており、後継機にも同様の装備が求められていた。
 だが、陸海軍の共同開発機となった月光、二式複座戦闘機の両機の後継機となる新型夜間戦闘機の開発は、当初計画からの遅延を招いていた。売りの機能であった電探照準の旋回銃座の開発に手間取っていたのである。
 その一方で月光の陳腐化や、旋回銃座以外の機載電探の開発費回収などといった問題があり、月光後継機の早期就役が求められていた。そこで日本海軍では開発中止となっていた後にライセンス生産されるセントーラスエンジンの空中試験機に転用されていた一五試陸上爆撃機に、電探や射撃兵装などを追加して、四三式夜間戦闘機極光として採用していた。
 四三式夜間戦闘機が就役した後も夜間戦闘機の真打ちとなる機体は開発を継続されており、後部銃座旋回時の振動問題の解決などに手間取っていたものの、1945年初頭にようやく電光という愛称で四五式夜間戦闘機が正式採用されていた。

 陸上爆撃機改造の四三式とは異なり、当初から夜間戦闘専用機として開発された四五式夜間戦闘機だったが、製造業者である中島飛行機は四三式や十五試陸上爆撃機も担当しており、その機体構造は概ね両機に準ずるものとなっていた。
 夜間戦闘機としての開発開始時期としてはむしろ逆であるのだが、大雑把に言えば四五式夜間戦闘機の構造は、陸上爆撃機を原型としているために余剰部分のある四三式夜間戦闘機から純粋な戦闘機としては不要となる部分をこそげ落として一回り小型化したものといったところだった。
 しかも制式化年度で僅か2年の間にも電子兵装の進歩は大きく、本来四五式夜間戦闘機用に開発された機材を搭載していた四三式のそれよりも機首電探などの電子機材は小型化、高性能化が図られていた。
 小型化した機体構造でエンジンは同出力のセントーラスエンジンを搭載しているために機動性に関しては上昇能力、速度性能などを合わせていずれも四三式よりも高いと評価されていた。

 前方を指向した銃兵装は四三式を踏襲しており、機首下部、内翼合わせて4門装備された20ミリ機関砲は、この時期の日本陸海軍戦闘機の標準と言えるものだった。
 特徴的であったのは機体中央部に配置された連装20ミリ機関砲を装備した銃塔であった。月光も同様の装備があったが、電探や操作員を載せた月光の旋回銃塔が大重量かつ大きな空気抵抗源であったのに対して、四五式夜間戦闘機では機関砲のみが載せられた小型のものに代わっていた。
 この遠隔銃塔の操作は銃塔直前の偵察員席から行われていた。四五式夜間戦闘機では測定可能距離にばらつきはあるものの機首、左右側方、後部に分散配置されていた電探によって概ね全周の捜索が可能となっており、偵察員は電探表示面から敵機を読み取って照準を行うことが可能だった。
 四五式夜間戦闘機の開発遅延の原因となっていた遠隔銃塔であったが、並進状態からの射撃や、機首前方に向ければドイツ夜間戦闘機に搭載されていた斜銃としても運用できるなど意外にも評価は低くなかった。
 但し、電探照準の操作が難しいことや重量対策などから、偵察員は電探操作に専念させて遠隔銃塔を取り払ってしまう部隊もあったようである。

 日本陸海軍共同機から日本航空軍初の夜間戦闘機となった四五式夜間戦闘機であったが、意外な評価を受けることも多かった。概ね陸軍の二式複座戦闘機同様に複座戦闘機として洗練された四五式夜間戦闘機は、状況によっては単座戦闘機と渡り合えるなど戦闘機としてはそれなりに高い評価を受けていたのだが、実際に運用する夜間戦闘機隊の評価は分かれていた。
 陸上爆撃機から転用された四三式夜間戦闘機は確かに鈍重さは隠せなかったものの、その一方で銃兵装を強化してもなお余剰重量を受け入れる余地があり、長距離飛行用の機内増槽や対空噴進弾の転用による夜間攻撃機としての運用といった汎用性を有していたのだが、四五式夜間戦闘機はなまじ戦闘機として絞り上げた機体構造があだとなってそのような汎用性を失っていたのである。
 対独戦においては日本軍にまともな夜間戦闘機が配備されるようになった大戦中盤以降は、夜間爆撃などを大々的に行う余裕がドイツ軍から失われており、夜間戦闘機といえども迎撃戦闘だけではなく多用途に使用できることが求められていたのである。
 四五式夜間戦闘機が夜間迎撃機として正しく評価されるには、太平洋を舞台とした対米戦が開始されるまで待つ必要があったのである。


 


戻る
inserted by FC2 system