キ60




キ60


<要目>
全幅12m 全長8.74m 自重2.2トン 乗員1名 武装12.7ミリ機関砲×4(翼内×4) エンジン出力1150hp×1 最大速度590km/h 航続距離1,100km


 1930年代半ば、改定された兵器研究方針によって、日本陸軍の戦闘機はそれまでの単座戦闘機から、軽単座、重単座、複座戦闘機に新たに分類された。これに従って中島飛行機は一式、二式の軽、重単座戦闘機を開発した。また、複座戦闘機としては二式複座戦闘機が川崎航空機で新たに開発された。
 同時期、川崎航空機では、この兵器研究方針の改定とは無関係に、九八式戦闘機の後継となる水冷エンジン搭載機の試作を行っていた。
 これは概ね九八式戦闘機の近代化改装というべき方針で進められており、当初は九八式戦闘機の引き込み脚改造計画からスタートしていたのだが、計画開始時点においては、九八式戦闘機では既に徹底的な改装を行わない限り、性能上新鋭機には対抗できないことが明らかになっていたため、新規の開発機としてキ60のキ番号が与えられた。

 キ60は当時の他社製新鋭戦闘機同様に折り畳み脚に加えて、光像式照準器を備えており、エンジンは九八式戦闘機の搭載したケストレルに代えて、ロールスロイス製の新鋭水冷エンジンであるマーリンエンジンを搭載していた。試作段階では当時の最新型であるマーリン12が川崎航空機でのライセンス生産を前提として搭載されていた。
 土井主務技師の指揮のもと開発が進められたキ60は、概ね機体の構造は九八式戦闘機を踏襲しており、水冷エンジンや機銃の艤装方法は同一で、さらに翼端を増した高アスペクト比の主翼構造も踏襲していた。
 その主翼は、高アスペクト比の細長い構造を支えるために付け根部分では翼厚となる頑丈なもので、内翼部にはカウリングの追加などの措置は必要だったものの余裕を持って大口径の機関砲を搭載することが出来た。

 試作開発の終了したキ60は、一式単座戦闘機、二式単座戦闘機などと同時期に陸軍航空本部の審査を受けた。だが、この時点では主力機として制式採用されるのは中島飛行機の開発した一式、二式の軽、重単座戦闘機であることが半ば確実視されており、その一方でキ60に向けられた視線は冷ややかなものだった。
 キ60は、あくまでも水冷エンジン搭載の九八式戦闘機の後継として開発された直系の機体であり、兵器研究方針に従っていない機体だった。それ故に事前の評価はさして高くはなかったものと考えられる。
 開発者である川崎航空機としては重単座、軽単座の中間とも言える一種の万能戦闘機を目指した機体であったが、実のところ、重武装と高速、機動性を兼ね備えた戦闘機こそ、陸軍航空本部が求めた重単座戦闘機そのものであったはずなのだが、それが陸軍に評価されるのは、実際に審査が進んで飛行試験が開始されてからの事だった。
 九八式戦闘機の運用実績から、水冷エンジン搭載機専用として特定の戦隊を指定することで、配備先を限定して整備兵に特別教育を施すことで、空冷エンジンと同程度の稼働率は保っていたものの、水冷エンジンは空冷エンジンと比べると複雑な機構を持つため、製造時の工数が多くなり、単価は高くなる為、機体の製造コストを跳ね上げていた。
 そのため、陸軍航空本部では、相当の性能上昇が見られない限り、新型水冷エンジン搭載機の採用には慎重になっていた。キ60が搭載していたマーリン12の出力は1150馬力に達したが、これは九八式戦闘機が搭載していたケストレルの最終発展型とそう大きくは変わらないものだった。
 それ故に、飛行試験が開始されるまでは、陸軍航空関係者の多くは、キ60の性能は九八式戦闘機と比べて大きな飛躍は見られないだろう、そう考えられていたのである。

 だがキ60は周囲の冷淡な態度の中、飛行試験において重単座戦闘機の本命とされていた後の二式戦闘機を上回る最高速度590km/hを発揮し、陸軍航空本部の評価を一変させることとなった。
 もっとも川崎航空機では、同エンジンを搭載していたスピットファイアMk.Uが同程度の性能を発揮していたことから、九八式戦闘機から空力的に洗練させたキ60の性能はある程度把握しており、意外とは思っていなかったようだ。
 さらに、二式単座戦闘機と同程度の高速性能を発揮したキ60だったが、高翼面荷重の二式戦闘機と比べて、高アスペクト比の細長い主翼によって、日本陸軍の戦闘機として標準的とも言える程度の翼面荷重を確保したキ60は横方向の格闘性能にも優れており、上昇速度を除いて概ね二式戦闘機よりも各種の性能は優位にあった。
 もっとも陸軍航空本部がキ60で機体性能に加えて高く評価したのは発展余裕が確保されている点だった。左右を一体化した主翼は機体構造と別途製造された後に最終工程で胴体にボルト結合されるのだが、この主翼取り付け位置は、設計段階からある程度前後に変更可能となっており、より強力な兵装を搭載した構造の主翼に生産段階で換装するのは容易だった。
 しかし、この特徴的な主翼構造の取付方式は、元々機体重心の変更を予想してとられた措置だった。ロールスロイス社のこれまでのエンジン開発方針からすると、マーリン・エンジンはケストレル同様に過給機の性能向上などの改良によって、出力向上が図られることが予め予想されていた。
 さらに、スピットファイア同様により大出力のグリフォンエンジンへの換装も想定されたことから、防火壁を含めたエンジン架部分は構造が予め強化されており、同時にエンジン重量の増大に対応するため、機体重心の変化に応じて主翼取り付け位置も変更できるように設計されていたのである。

 日本陸軍航空本部は、将来発展余裕に加えて、二式重単座戦闘機に欠けていた格闘性能と高速性能を併せ持つことから、キ60を将来主力重戦闘機として採用することを決意したが、明野陸軍飛行学校などが指摘した改良点は少なくなく、これらの変更を織り込んだ機体は相応にキ60原型機とは異なるものに仕上がることが予想されたことから、新たにキ61のキ番号と、将来の制式採用の内示が伝えられた。
 しかし、対独戦への参戦を間近に控えていた日本陸軍戦闘機部隊にとって、高性能戦闘機の配備は急務であり、一式、二式戦闘機にやや遅れて開発されていたキ60の熟成を待つだけの余裕はなかった。
 そこで当座の措置として、異例ではあったが、本来は制式採用されること無く、部隊配備されることもない数ある試作機の一つでしか無かったはずのキ60を致命的な改良点のみの変更を行った上で、増加試作機の名目で部隊配備を行うために実質上の量産を行うこととした。
 二百機程度が生産されたキ60は、実質的には後の三式戦闘機キ61の先行量産機としての位置づけと捉えられており、飛行第47戦隊を除けば、新設の部隊への配備は行われずに、従来水冷エンジン搭載機である九八式戦闘機を運用していた飛行戦隊や、三式戦闘機への機種改変を行うための練成部隊への配備にとどまっていた。
 配備された機体も、耐用年数に達すると共に順次正式量産機とも言える三式戦闘機に入れ替わるか、後方の訓練部隊などに教材として送られていったため、終戦時に飛行可能状態な機体はほとんど残されていなかった。

 


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