三式戦闘機一型




三式戦闘機一型甲


三式戦闘機一型乙


<要目>
全幅12m 全長8.74m 自重2.4トン 乗員1名 武装12.7ミリ機関砲×2(翼内×2)、20ミリ機関砲×2(翼内×2) エンジン出力1470hp×1 最大速度610km/h 航続距離1,100km 一型甲
全幅12m 全長8.95m 自重2.6トン 乗員1名 武装12.7ミリ機関砲×2(翼内×2)、20ミリ機関砲×2(翼内×2) エンジン出力1580hp×1 最大速度660km/h 航続距離1,100km 一型乙


 1930年代に日本陸軍が制式化していた唯一の水冷エンジン搭載戦闘機であった九八式戦闘機の後継機として川崎航空機が開発していたキ60は、審査における飛行試験においてそれまでの予想を覆して高性能を発揮し、一躍次期主力陸軍重戦闘機として制式採用が内定された。
 しかし、キ60は、陸軍にとって次期重戦闘機となる戦闘機の試作機としての位置づけであった。この次期戦闘機となるキ61の実用化が、新型エンジンの搭載などの理由で遅れたことから限定的に量産が行われたが、あくまでもキ60は重戦闘機へと至る中間機、あるいは初期生産機でしか無かった。
 日本陸軍航空本部と川崎航空機にとって、本命となる重戦闘機としてキ60の各種不具合点などを改設計された機体が、キ61、三式戦闘機であった。

 キ60から三式戦闘機への改設計に当たっては、実のところ主要な機体構造はほとんど変化していなかった。頑丈な主翼構造取付方式や構造材、主機据付方式、主冷却器位置などもほとんど変化しておらず、キ60が試作機としては高い次元でまとまっていたことを伺わせている。
 外観上の大きな変更点は、風防がコクピット部分から尾翼までなだらかに連なるいわゆるファストバック方式から、全周方向の視界を確保するため、風防のみを外部に突出させた涙滴型風防方式に変更された点にある。
 また、高速性能を発揮するために、抵抗を軽減する目的で、尾輪を格納式とするとともに、主冷却器後部を滑らかに整形している。主冷却器後部には排気用フラップが設けられて必要に応じて開閉する。開閉度は冷却水温度計測値を関数として自動で調整されるが、離陸時などに手動で操作することも可能だった。
 主翼構造そのものはキ60とほとんど変化はないが、重戦闘機として運用するために兵装は変更されており、キ60の12.7機関砲を両翼に二門づつ計四門装備から、内翼側装備をエリコンFFS系列の20ミリ機関砲に換装して、20ミリ2門、12.7ミリ2門に強化されている。
 なお、エンジンそのものもキ60が装備した愛知時計電機でライセンス生産されていたロールスロイス、マーリン12から、新たに川崎航空機でライセンス生産が開始されたマーリン45に換装されている。
 就役した三式戦闘機は、原型機キ60を洗練させた機体構造と、300馬力も上昇したエンジン出力によって従来の日本陸軍戦闘機を大きく上回る水平時速毎時600キロを超える他、機体構造に余裕があったため、降下速度は毎時800キロにも達した。

 陸軍主力戦闘機として大量生産が開始された三式戦闘機は、日本陸軍の続々と増設されつつあった飛行戦隊の主力戦闘機として配備されるとともに、国際連盟軍に参加する各国にも多数が供給された。
 また、部隊配備と時を同じくして、さらなるエンジン換装が計画された。これは、1段1速式の過給器を装備したマーリン45から、高高度性能を向上した中間冷却器付2段2速式過給器を装備して、ブースト圧の向上と全開高度の上昇をはかったマーリン66への換装である。
 陸軍の正式書類では、エンジンの換装を行った機体でも名称に変化はなく、「三式戦闘機一型」であったが、川崎航空機では、便宜的にマーリン45を装備した初期型を三式戦闘機一型甲、マーリン66を装備した機体を三式戦闘機一型乙と呼称していた。
 三式戦闘機一型乙は、甲と比較して二段式となった長大な過給器を備えたマーリン66の搭載及び、これに伴う重心バランスの調整のため胴体後部の延長によって機体は200ミリ程延長されていた。

 三式戦闘機は、当時の枢軸軍新鋭主力戦闘機に十分対抗出来るものであり、北アフリカ戦線終盤から前線に投入されてから、終戦まで日本帝国陸軍の主力重戦闘機として運用されていた。


 


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