二式複座戦闘機丙型(夜間戦闘機仕様)




二式複座戦闘機三型丙


<要目>
全幅15.3m 全長10.9m 自重4.6トン 乗員2名 武装20ミリ機関砲×2(機首×2) エンジン出力1,470hp×2 最大速度595km/h 航続距離1,800km 

 日本陸軍初の本格的な双発複座戦闘機となった二式複座戦闘機だったが、実際には初期型となる一型が就役した頃には列強各国で相次ぐように開発されていた双発複座戦闘機の構造的な限界が明らかになっており、双発エンジンの大出力を元にした高速度も、エンジン関係技術の発達により千馬力級の大出力エンジンが相次いで投入されたことから、軽快な単発戦闘機でも十分な速力を発揮できるようになっており、双発戦闘機の利点はその多くが失われていた。
 実際に制式化された双発戦闘機は、機動性能が重要な空対空戦闘よりも、操縦員以外の乗員を乗せる多座による高い航法能力や機首に集中配置された強力な武装を活かして戦術偵察機や対地攻撃機として運用されることが多く、それは日本陸軍でも例外では無かった。
 二式複座戦闘機が装備された飛行戦隊も飛行分科が戦闘だけではなく軽爆や襲撃であった部隊も転換の対象となることが多く、軽爆撃機と重爆撃機の一本化と共に、実質上襲撃機と軽爆撃機の統合が同時期に図られたことから、第二次欧州大戦中盤頃より各国で運用が始められていた戦闘爆撃機として運用されていた。

 三菱製空冷エンジンであるハ102を搭載して制式化された二式複座戦闘機一型はこのように戦闘機以外の任務に使用されることが多かったが、製造元である川崎航空機では主機を自社でライセンス生産されていた水冷マーリンエンジンに換装した二型を発展形として開発していた。
 二式複座戦闘機二型ではエンジンが大出力かつ空気抵抗の少ない水冷エンジンに換装された他、後方旋回機銃座の格納方式変更など操縦席周りの整形によって空気抵抗の低減を図ったことで速度性能を向上させており、長距離高速戦闘機としての本来の双発複座戦闘機としての姿に立ち返った型式だといえた。

 二式複座戦闘機では、一型、二型共に特段の改修なしに夜間戦闘に応急的に投入された他、一部の機体では試製の電波警戒機を現地改修で搭載して夜間戦闘機に転用していた。
 この応急的な改造に続いて、陸軍航空本部は川崎航空機に二式複座戦闘機を原型とした本格的な夜間戦闘機仕様の開発を指示した。
 二式複座戦闘機三型丙と呼称された夜間戦闘機仕様は、高速戦闘機仕様であった二型を原型としており、電波警戒機の搭載と同乗者の操作員化が行われていた。
 従来型では機首上方に12.7ミリ機関砲を2門、機首下部に20ミリ乃至37ミリという大口径の機関砲を1門装備していたが、三型丙では機首に電波警戒機を装備する空間を捻出するために上部の機関砲を20ミリに換装するとともに下部には電波警戒機本体及び空中線取付基部が配置されており、操縦席直前の隔壁から形状変更がされていた。
 ややふくらんだ形状に変更された機首下部からつき出された空中線は指向性の高い八木宇田方式となっており、この電波警戒機は射撃管制用のもので射界が狭く、有効範囲もさほど広くはないが、精度は高かった。
 操縦席後部の同乗員席も二型のものを原型としつつ、窓枠が少なく遮蔽された形状となっており、後部旋回機銃の廃止もあって空気抵抗低減に一役かっていた。
 同乗員席の窓は長距離単独飛行時の天測、明かり取り用のものと割りきっており、視界の良さよりも表示面等の電波警戒機関連機器の搭載に重点が置かれていた。

 就役後の二式複座戦闘機三型丙は、海軍で先行して夜間戦闘機として採用されていた月光が主に迎撃機として使用されたのに対して、高速戦闘機としての原型ゆえか英国空軍のモスキートと同様に攻撃隊に随伴しての護衛戦闘機として運用される場合が多かったようである。
 もっとも夜間爆撃を主戦術とする英国空軍重爆撃機隊と比べると日本陸軍は昼間爆撃による命中精度を重要視していたため、実際には迎撃機として使用される場合も少なくなかった。
 全般的な状況から言って国際連盟軍は大戦中盤以降は重爆等で攻めこむ側であり、夜間迎撃機の必要性が薄かったのが実状だったのだろう。
 また、電波警戒機の小型化、高性能化が進んだこともあって、これ以後の日本軍夜間戦闘機は単発戦闘機に特別装備として電波警戒機を追加したものや、陸海軍共同の大型戦闘機に二極化が図られた。


 


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