二式複座戦闘機




二式複座戦闘機一型


二式複座戦闘機二型乙


<要目>
全幅15.1m 全長10.6m 自重3.9トン 乗員2名 武装7.7ミリ機銃×1(後方旋回機銃)、12.7ミリ機関砲×2(機首×2)、20ミリ機関砲×1(機首×1) エンジン出力1,080hp×2 最大速度540km/h 航続距離1,900km 二式複座戦闘機一型
全幅15.1m 全長10.9m 自重4.5トン 乗員2名 武装7.7ミリ機銃×1(後方旋回機銃)、12.7ミリ機関砲×2(機首×2)、37ミリ機関砲×1(機首×1) エンジン出力1,470hp×2 最大速度590km/h 航続距離1,800km 二式複座戦闘機二型乙


 1930年代半ばに改定された日本陸軍の兵器研究方針は、戦闘機を重単座、軽単座と複座戦闘機に分類していた。この内、重単座戦闘機はあらゆる用途に使用できる万能戦闘機を指向したもので、軽単座戦闘機は軽量級のエンジンを搭載した対戦闘機戦闘に用途を絞った安価な軽戦闘機指向の機種だった。
 この重単座、軽単座戦闘機の研究方針に沿って、後に重単座戦闘機が二式、三式、軽単座戦闘機が一式として制式採用されたが、複座戦闘機の方は、肝心の用途を絞りきれずに曖昧な機体になってしまっていた。
 複座戦闘機の性能要求が出された後、中島、三菱、川崎と陸軍戦闘機の開発経験のある三大航空機メーカーに試作発注が出されたが、当初試作された機体は、いずれも基礎研究のみで制式化はされず、後に二式複座戦闘機となるキ45の試作発注が行われた際も、中島、三菱の二社は当初から辞退、残った川崎も開発はいささか迷走することとなった。

 そもそもが、改定された兵器研究方針にそれまで日本陸軍に存在していなかった複座戦闘機が追加されたのは、日本の航空技術の参考とされていた欧州において、一種の万能機となる双発複座戦闘機の開発が盛んとなっていたことを反映させたものであった。
 これらの万能機は、例えばフランスのポテ630や、ドイツではメッサーシュミットBf110として誕生したが、これらの機体は当初は味方攻撃機に随伴して直衛を行う長距離戦闘機として運用されたものの、戦闘機として重要なロール率や加速度などといった性能が低いために、同時期の単発戦闘機に空戦で対抗できるものではなかった。

 ポテ630はフランスの敗戦によって性能をみせることもなく終わったが、メッサーシュミットBf110は英国本土での航空戦において大きな損害を被った結果、純粋な昼間戦闘機としてよりも、対地攻撃機や夜間戦闘機などに転用されることが増えていた。
 日本陸軍初の複座戦闘機として開発されていた二式複座戦闘機は、これらの先行していた複座「戦闘機」の就役後の経緯を反映して、制式化直後から実質上は戦闘機としての任務には就かずにもっぱら襲撃機として使用された。
 二式複座戦闘機は、日本陸軍初の複座戦闘機であり、その装備部隊もそれまでの歴史のない新規編成部隊となったが、新たに召集された空中勤務者は飛行分科「戦闘」に加えて、襲撃機を運用する「襲撃」分科出身者も多数含まれていた。
 これは、二式複座戦闘機が半ば戦闘機として期待されてないことの裏返しでもあったが、同時に襲撃機部隊の主力装備であった九九式襲撃機が旧式化しているにもかかわらず、後継機が開発されていないことから、二式複座戦闘機はその重武装を活かして襲撃機としても運用されることとなった。

 半ば持て余した状態で制式採用された二式複座戦闘機だったが、配備された部隊での評価は、特に襲撃飛行分科出身者からのそれは意外なほど高かった。確かに機動性能や速度性能は、最新の単座戦闘機に比べれば劣ってはいたが、原型が戦闘機として開発されたものだから旧式化した他の襲撃機や軽爆撃機に比べれば高く、特に投弾後の身軽になった状態であれば、ある程度の自衛戦闘も不可能ではなかった。
 その上、軽爆撃機程度の爆装に加えて、大口径機関砲の機首集中配備は、地上掃射において有効であった。
 欧州での航空戦闘では、敵味方ともに近接航空支援の比率が少なくないため、二式複座戦闘機はその重火力を活かした実質上の襲撃機部隊として運用されていた。
 また、一部の部隊では兵装を一部廃して電探を装備した上で、長距離夜間戦闘機としても運用されていたが、本格的な夜間戦闘専用機が就役すると機種転換の対象となっていた。

 肝心の戦闘機としての性能を除けば、概ね高い評価を受けた二式複座戦闘機だったが、制式化された直後から、製造元である川崎航空機では、発展型の開発を開始していた。
 陸軍からの正式な要請によって、より襲撃機としての運用に特化した重火力化と、半ば自主開発で進められた高速化の二本立てで性能強化は進められた。
 この内、火力強化に関しては、従来の20ミリ機関砲よりもより大威力の37ミリ機関砲が新たに搭載された。これは大型爆撃機をも一撃で撃墜しうる威力を誇っており、対地攻撃にも大きな戦力となった。
 この37ミリ機関砲装備型は、乙型として呼称されて、主に襲撃機として使用する部隊に優先的に配備された。

 これに対して、高速化が図られた機体は二型と呼称された。二型は従来機が装備していたハ102空冷エンジンを、当時川崎がライセンス生産していたマーリン45に換装したもので、エンジン架などの艤装設計は単座戦闘機である三式戦闘機を一部流用して開発期間の短縮が図られていた。
 なお、水冷エンジンに必須のラジエータは、主胴体と両翼エンジンナセル間の内翼部分に設けられており、これは英国空軍で制式採用されていたモスキート爆撃機に倣ったものであった。
 原型機と比べると、大出力化とより流線型となったエンジンナセルの抵抗減少などによって格段に高速化が図られていた。この高速を活かして、二型は主に戦闘機や高速爆撃機として運用される部隊に優先配備されることとなった。

 この当時の川崎航空機製らしく、二式複座戦闘機の各発展型は、仕様変更が容易に行えるように各部はユニット化された設計になっており、対空砲火をあびる可能性の高い襲撃機部隊では、より損害に強い空冷エンジンと強武装から「一型乙」仕様を好み、戦闘機部隊は短砲身であるがゆえに高速で推移する対戦闘機戦闘には不利な37ミリ砲よりも、携行弾数の多い20ミリ機関砲と高速性能を有する「二型甲」仕様を好んでおり、単純に二型、乙型が発展形とは言いがたい一面もあった。


 


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