二式観測直協機




二式観測直協機


カ号観測機


<要目>
全幅3.2m 全長8.7m 自重1.1トン 乗員2名 武装無し エンジン出力450hp×1 最大速度170km/h 航続距離500km 二式観測直協機
全幅3.1m 全長6.7m 自重0.8トン 乗員2名 武装無し エンジン出力350hp×1 最大速度175km/h 航続距離350km カ号観測機


 1930年代、動力を持つ推進用プロペラと自由回転する揚力用ローターを個別に有するオートジャイロが、短距離離陸性能や簡易な機体構造などの利点を持つことから各国で軍事利用を図る動きがあった。
 日本陸軍でもこの例に漏れず陸軍航空本部が英国製のオートジャイロを試験購入したが、実験飛行において原理上からなる重量制限などから戦闘用には適せずとして事故によって機体が失われたこともあってその後の本格的な導入はされなかった。
 しかし、陸軍の航空行政を管轄する航空本部ではなく、航空機以外の兵器技術全般に関する技術本部が、英国から技術導入を受けてのオートジャイロの国産化を、萱場製作所に命じていた。
 第二次欧州大戦開戦を控えて兵器製造機種を絞っていた英国としても同種兵器の生産を同盟国に肩代わりすることを狙って積極的な技術援助を行っており、萱場製作所では早期にオートジャイロの国産化に成功し、カ号観測機として制式採用された。

 技術本部では機動力を持たない観測気球の代わりに着弾観測を行う観測機としてカ号観測機を捉えており、飛行兵科ではなく砲兵科の管轄となっていた。簡易な構造とはいえ野戦運用には専門技術を持つ段列の存在が必要不可欠のため、想定されていた主な配備先は師団砲兵ではなく軍団直轄の砲兵情報連隊とされていた。
 カ号観測機は北アフリカ戦線で実戦運用が開始されたが、使い勝手の良さから艦上での対潜哨戒など多目的で使用されることが計画されたが、実際に装備を満載して離陸しようとすると離陸滑走距離が過大になる問題があり、また砲兵情報連隊における着弾観測任務以外に多目的に使用されるとなると航空行政の範囲になると判断されたことから、カ号観測機の後継機は技術本部から航空本部預かりとなった。

 航空本部ではエンジン出力の増強による性能向上を図るには限度があると判断し、後継機にはオートジャイロではなく当時本格的な技術開発が行われていた回転翼機を選定するとした。
 しかし製造はともかく、航空本部を満足させられだけの設計能力を持つ国内メーカーは見あたらずにカ号観測機同様に国外既存機の輸入あるいはライセンス生産が考えられた。
 この当時、国際連盟加盟諸国の中で回転翼機技術が最も進んでいたのはシベリア―ロシア帝国だった。豊富な地下資源が予想される未開発地の多いシベリア―ロシア帝国では滑走路が未整備な辺境でも運用できる回転翼機の開発に熱心になっており、特にシコルスキー航空工業がその中核となっていた。
 ロシア革命以前からの航空技術者であったシコルスキーが立ち上げたシコルスキー航空工業は、従来大型水上機の生産を中核業務としていたが、以前から回転翼機の実用化に取り組んでおり、この当時は水上機開発で技術提携を行っていた英国サンダース・ロー社との共同開発を行っていた。
 サンダース・ロー社でもオートジャイロを実用化したシェルバ社を吸収合併していたことから、次世代航空機の一つとして回転翼機に注視しており、シベリア―ロシア帝国での需要からロシア国内での製造を企画していた。

 日本陸軍航空本部では、やはりシコルスキー航空工業と技術提携関係にあった三菱重工に回転翼機の製造を命じており、カ号観測機の後継機にはシコルスキー航空工業とサンダース・ローの共同開発機であるR4が原型となることとなった。
 操縦者の他同乗者1名の搭乗が可能なR4はサンダース・ロー社が主になって開発した機体で、搭載能力は小さいために連絡機として設計されていた。航空本部では三菱での製造にあたってエンジンの出力強化と国産化を要求しており、最終的に九八式直協機が搭載したのと同じ東京瓦斯電気工業製の天風エンジンが搭載された。
 エンジンが同一である以外にも軽便な万能雑用機として設計された回転翼機は直協機と同様の任務を行うことが想定されており、制式化された際には従来の観測機との差別化もあって、二式観測直協機と呼称されていた。

 制式化後直ちに北アフリカ戦線に送られた二式観測直協機は、砲兵情報連隊と一部の直協機部隊に配備された。砲兵情報連隊では従来のカ号観測機に比べて構造が複雑化したことにより整備工数は増大したものの、離着陸性能の向上や空中静止、地形追随飛行の容易さなどから高く評価された。
 その一方で直協機としては、離着陸性能や並列複座配置による同乗者の視界向上は評価されたものの、直協機では地上攻撃任務もあることから固定翼の九八式直協機と比べると搭載能力の少なさや速度の低さが疑問視されることになり、後続機での搭載量増大が要望されていた。


 


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