二式貨物輸送機




二式貨物輸送機


<要目>
全幅30.5m 全長23.5m 自重14.2トン 乗員5名 武装無し エンジン出力1500hp×4 最大速度490km/h 航続距離5,000km

 第二次欧州大戦への正式参戦直前に有力な四発爆撃機である一式重爆撃機が日本陸軍に制式採用とされた中島飛行機は、これに続いて制式化以前より自主的開発という形で一式重爆撃機を原型とした大型輸送機の試作開発を進めており、この時期の日本の航空行政には珍しい事にメーカーからの提案という形で陸軍に売り込みを掛けていた。
 この時点で日本陸軍には三菱重工が開発した九七式重爆撃機を原型として高速輸送機に転用された一〇〇式輸送機が存在していたが、一式重爆撃機は一〇〇式輸送機の原型となった九七式重爆撃機が双発であるのに対して大出力のエンジンを四基備えたより重武装かつ大型の機体であったことから、一〇〇式輸送機よりも有力な輸送機となる可能性があった。
 異例の提案を受けた日本陸軍航空本部は、従来の手法と違うメーカーからの提案に困惑したものの、中島飛行機の創業者である中島知久平は航空行政にも強い影響力をもつ有力な政治家であり完全に無視することも出来なかった。
 中島飛行機の思惑としては一〇〇式輸送機のように重爆撃機の転用によって比較的安価な設計費用で輸送機を売り込めるとともに、この輸送機の設計に一式重爆撃機との部品共通性を持たせることで日本軍の正式参戦まで取得価格の高さから生産数が伸び悩んでいた一式重爆撃機の価格低減効果も考慮していたようである。

 中島知久平の強い後押しもあってこの一式重爆撃機の輸送機改設計案は最終的に採用されて、中島飛行機内で試作開発が進められていたことから日本軍が正式に第二次欧州大戦に参戦した直後には早くも一式重爆撃機二型を原型とした試作機が陸軍に納入されていた。
 試作機とは言うものの、実質上一式重爆撃機と同時期に試作が進められていたようなものだから、この試作機の完成度は高く、短時間の審査を経た後に制式採用が決定された。

 先行して制式採用された一〇〇式輸送機に対してより大型であったことから主に大重量の貨物の輸送に従事するとして、人員用に比して大型の貨物用扉を左舷側に設けるとともに主床の強化などを図ったうえで二式貨物輸送機として制式化された。
 こうした貨物輸送用の装備の他は概ね二式貨物輸送機の改設計は一〇〇式輸送機と共通したものだった。つまり爆弾倉を貨物倉に転用するための桁材の移設を目的とした中翼から低翼化、余計な重量となる防弾、防御兵装の排除などである。
 代替エンジンなどの重要かつ緊急性を要求する貨物の輸送を主な任務とした二式貨物輸送機では標準では人員輸送用の椅子などは設けられていなかったがオプション装備として簡易な長椅子が用意されており、武装した兵士で一個小隊程度ならば移送することが出来た。

 就役後の二式貨物輸送機は性能上は有力な輸送機だったが、九七式重爆撃機に比してより大型のエンジンと大口径プロペラを搭載した一式重爆撃機を原型として、さらに胴体の地上高がより高くなってしまう低翼配置となったことと、従来通りの尾輪式では地上では貨物倉が機体後部が低く斜めとなってしまうことなどから大重量の貨物の取扱が難しかった。
 これと一式重爆撃機が原型なだけに大型の輸送機となった二式貨物輸送機は設備の整った基地でなければ運用が難しいこともあって一〇〇式輸送機と比べると価格の高さなどから生産数はさほど多くは無かったが、中島飛行機にしてみればこれはさほどの問題とはならなかった模様である。
 中島飛行機としてみれば短時間の設計期間で開発した輸送機によって部品共通性の高い一式重爆撃機の価格低減を行うこと自体が目的であったこともあり、一式重爆撃機と合計した二式貨物輸送機の調達数は日本陸軍としては空前の規模とも言える大型機であることを考慮すればメーカーとすれば十分に利益のある数値となっていた。
 また中島飛行機が第二次欧州大戦後の民間航空事業の拡大と再編制を見越して戦時中から開発を進めていた四発大型レシプロ機は先進的な前輪式への変更などはあったものの、二式貨物輸送機の設計を原型としており、その意味でも中島飛行機に当機がもたらした利益は大きなものだったといえるだろう。


 


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