一式戦闘機二型




一式戦闘機二型


<要目>
全幅11.4m 全長9.0m 自重1.9トン 乗員1名 武装12.7ミリ機関砲×2 エンジン出力1240hp×1 最大速度580km/h 航続距離1,100km(常装)、2,600q(最大)


 日本陸軍初の軽単座戦闘機として制式配備された一式戦闘機一型は、本来陸軍戦闘機の主力となるはずであった重戦闘機が不在の間、砂塵防護用のフィルターが取り付けられて、主戦場である北アフリカ戦線において主力戦闘機として活動していた。
 一式戦闘機一型は概ね有力な戦力として評価されていたが、枢軸軍の新鋭戦闘機に比べると、軽量の機体は機動性は高かったものの、兵装の貧弱さ、エンジン出力の低さなどから限定的な戦闘を強いられていたのも事実だった。
 これに対して、日本陸軍は、重戦闘機の本命である三式戦闘機などの早期戦力化を図るとともに、既存の主力機である一式戦闘機の強化も同時に行うこととした。
 この方針にしたがってエンジンの換装などの強化策が施されたのが一式戦闘機二型である。

 一式戦闘機二型は、エンジンを一型が搭載していたハ115に、二速式過給器によって圧縮され高温となった吸気を冷却するための空冷式中間冷却器を追加して、許容最大ブースト圧を引き上げたハ115−2が搭載された。
 この中間冷却器を収めるために、機首下部の冷却器は大型化され、従来の滑油冷却器と並行して中間冷却器が配置されている。機首のエンジンカウリングは、一型と比べると空気抵抗を低減するために洗練された形になっていた。
 エンジンカウリングの整形に加えて、集合排気管は機体後方に向けた推力式排気管となっており、この排気管から排出されたガスによって摩擦抵抗を低減させていた。
 また、従来固定式だった尾輪も飛行中に格納されるようになっており、エンジン出力の向上と空気抵抗低減対策によって一式戦闘機二型の最大速度は、一型に比べて時速40キロの向上を見せていた。
 エンジン周りと尾輪以外の機体構造は、ほとんど一型と変化はなかった。軽単座戦闘機として開発されていた一式戦闘機の主翼構造は、機銃を格納出来るだけの空間を確保することができなかったため、エンジンの収まった機首上部の空間に収めるしかないため、搭乗員達が求めていた兵装の強化は不可能だった。
 銃兵装は一型と同じ、機首装備の12.7ミリ機関砲2門だったが、落下タンク懸架は爆弾架を兼ねる構造の新型になっており、航続距離の低下と引き換えに両翼に250Kgまでの爆弾を搭載することが可能となっていた。
 機関砲そのものは一型と二型が搭載したものは同一だったが、二型が前線部隊に配備される頃には、信頼性の高い空気信管式の炸裂弾が安定して供給される様になっており、火力不足はある程度は解消されていた。

 日本陸軍の主力戦闘機の一翼を担うことになった一式戦闘機二型は、それまで一型を装備していた部隊に補充機として配備されていった。
 しかし、一式戦闘機二型を主力機として採用したのは、日本陸軍だけではなかった。二型の制式配備と前後して、国際連盟軍には自由フランス軍陣営についた旧インドシナ植民地などから徴用された現地人将兵達による部隊が加わっており、航空部隊も例外ではなかった。これらの植民地出身者には自由フランス軍のフランス本国人と比べると体格が小さく、欧州製の戦闘機よりも同じアジア人である日本人が開発した戦闘機の方が適していると考えられたため、日本製戦闘機として比較的安価だった一式戦闘機二型が配備されていた。
 主力重単座戦闘機であった三式戦闘機も他の国際連盟軍部隊に供与された例は少なくなかったが、これらが英国製のスピットファイアなどと同じくほとんどが欧州出身者で構成された部隊に配備されたのとは対照的に、一式戦闘機はアジア系搭乗員ばかりが搭乗していた。
 またタイ王国軍や満州共和国軍に輸出された機体も多く、最高速度などの点では決して最高の性能を持っていたわけではなかったが、手頃な機体性能と空冷エンジンの整備性の良さから欧州大戦後も各国の正規軍に配備され続けた機体も少なくなかった。一式戦闘機二型は、日本製の戦闘機であるにもかかわらず、日本人以外の搭乗員の方が多かったかもしれなかった。

 


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