一式重爆撃機四型




一式重爆撃機四型


<要目>
全幅33.5m 全長25m 自重18.5トン 乗員8名 武装20ミリ連装機銃×3、20ミリ4連装機銃×1 エンジン出力2,400hp×4 最大速度570km/h 航続距離4,000km

 日本陸軍で初の本格的な四発爆撃機として制式採用された一式重爆撃機は、先行して制式化されていた双発の九七式重爆撃機を護衛する為に原型機に引き続いて自衛火力を超える重兵装を有する一式重爆撃機一型が制式化された。
 それに続いて一型を基本設計として純粋な爆撃機として設計されたのが一式重爆撃機二型で、これはエンジンをより大出力のものに換装すると共に一型の自衛火力には過剰と思われた防御機銃の簡略化を図ることで原型機以上の爆弾搭載量を確保したものだった。
 二型の設計と並行して三型の設計も行われていたが、これは左舷側に高射砲転用の大口径砲などの重兵装を集中させて対地攻撃に特化した重襲撃機型であるため、一式重爆撃機の主力生産型は二型となっていた。

 英国軍のランカスターなどの重爆撃機と比べると、爆弾搭載量の割には高価な四発機であることから一式重爆撃機はほぼ日本陸軍のみで運用されていた。(後には陸戦支援用として海軍も採用)
 しかし、一見して他国の同規模機体と比べて少ない爆弾搭載量は、ソ連に対する航空撃滅戦を前提に日本陸軍が重爆撃機の機能を求めていたからだった。
 敵前線を突破するために、日本軍の重爆撃機は防御火力を充実させると共に高速力が要求されており、同時に重防護の敵施設などではなく、脆弱な在地の敵航空機を一挙に叩くために、英国軍が多用する大重量の汎用爆弾などに対してより嵩張る着火性の強い小型焼夷爆弾を広範囲に散布させる収束爆弾の搭載を前提として性能表を策定したことが、一式重爆撃機の要目を一見して頼りなくさせた原因だったのである。
 このような特性から、国際連盟軍は英国空軍が重要拠点を夜間爆撃する際に、その周辺の航空基地に対して日本陸軍が航空殲滅戦を仕掛けて英軍の損害を極限するようになっていた。
 しかし、純粋な対地攻撃を実施する場合は爆弾倉の他にエンジン出力に余裕があることから、地中海戦線などでは燃料搭載量を減少させて主翼下部に増設用支持架を設けて外部に爆弾を増載する場合も少なくなかった。

 四発機ならではの搭載力を生かして有力な防御火力と要所に施された装甲を持ち併せていた一式重爆撃機は、第二次欧州大戦序盤から濃密な防空網が構築された欧州に果敢に進攻を繰り返していたが、レーダー技術の発達やドイツ空軍への新型戦闘機の相次ぐ就役などによって次第に損害が増大していった。
 これに対して、日本陸軍は一式重爆撃機の改良でこれに対抗しようとしていた。
 この改良型は重襲撃機仕様である三型に続く四型とされたものの、実際には一式重爆撃機の重爆撃機仕様の二型の純粋な後継機であった。

 一式重爆撃機四型と二型の主な変更点はエンジンの換装にあった。
 一式重爆撃機はこれまで英ブリストル社の支援を受けて中島飛行機で製造されていたハ5系列のエンジンを搭載していたものの、この当時の中島飛行機は効率の悪い開発体制などから自社製エンジンの設計上の不備に悩まされており、大戦中盤頃から新規自社設計エンジン開発の絞込による開発力の集約と同時に、ブリストル社製エンジンのライセンス生産を行っており、四型にもブリストル社のセントーラスエンジンを搭載することになっていた。

 中島飛行機では特異なスリーブバルブを搭載した最後のエンジンとされたセントーラスの高性能に惚れ込んでおり、主力機の幾つかに搭載されていたが、特に一式重爆撃機では高々度飛行性能を向上させるために従来装備する機械式過給器に加えて排気過給器を備える二段式過給を行っていた。
 これは高々度からの爆撃侵入を行う為の措置だった。一般的にドイツ軍機は高々度性能に劣る傾向があり、敵飛行場襲撃のために強襲を余儀なくされる一式重爆撃機の防衛手段の一つと考えられたのである。
 この二段式の過給器本体や、過加熱を防ぐために一部を外部に露出させた排気管と言った嵩張る機器を収容するためにエンジンナセルは大型化されていたが、エンジンナセルは内部側と外部側で寸法が大きく異なっていた。
 外部側は過給器を通過した排気管はナセル後部下に導かれていたが、内部側は主脚格納部を避けるためにより排気管が延長されて右舷側に開口されていた。
 過給器に流入する吸気吸い込み口は従来のエンジンナセル上部から吸気路を考慮して主翼面に変更されていたが、ナセル上部の空気フィルターは以前と同位置にあった。
 また、三型以前の一式重爆撃機は簡素化と主脚動作不良時の不時着を考慮して、主脚収納時もタイヤ下部がむき出しとなっていたが、統計の結果滅多に発生しない不時着時に備えるよりも速度向上に寄与する方が重要とされて主脚、尾脚共に抗力を削減するために完全引き込み式として扉が設けられた。
 エンジンナセルと共に主翼そのものも高々度飛行のために大型化しており、翼端は延長されたものの翼付け根は以前とほぼ同様であり外翼のテーパー比が変更されていた。

 過給器による効果を含むエンジン出力向上によって一式重爆撃機四型の離陸重量は大きく増大していたが、これは爆弾搭載重量の増大よりも直接、間接的な防御力に向けられていた。
 特に防御機銃座はこれまでの重爆撃機仕様と異なり当時陸海軍を問わず日本軍が常用していたエリコン20ミリ系列に統一されており、これは本来翼端援護機として就役した一型に近いものであり、エンジン出力の向上により爆弾搭載量を減少させること無く兵装を増強したとも取れるものだった。
 更に大型機攻撃のセオリーとなる後部からの追撃に対応する尾部機銃は、他の機銃座からの援護が受けられにくいとの判断から増強されており、従来の限定的な射界しか持たない半固定式のものではなく、射界の広い四連装の旋回機銃座とされていた。
 これらの機銃座はすべて機体の首尾線に沿って配置されていたことから側面には10門の20ミリ機銃を指向することが可能だった。
 ただし、空間の限られる尾翼後方に大容積の20ミリ機銃四門を旋回式に配置した為に尾部機銃座は狭く、撃墜時の脱出率も低くなってしまっていた。

 防御機銃座の充実の他にも間接的な防御手段としては対空レーダーや逆探の他に、敵レーダ波をジャミングする電波妨害装置などの電子兵装の搭載も行われていた。
 これは重襲撃機仕様の三型に準じたものであり、樹脂製の電子兵装用風防が上部機銃座後方から垂直尾翼前面までの間に設けられていたが、他にも爆弾倉付近にも搭載スペースが設けられており、雲量が多い場合などの視界不良が多発する高々度爆撃において使用する爆撃照準レーダーなどが設けられていた。
 ただし、これらは仕様が固定されたものではなく、激化する一方の英独間の電子兵装開発競争に対応するように大戦中何度か搭載機器の更新が行われていた。

 純粋な爆撃機仕様としては第二次欧州大戦序盤から運用されていた二型の後継機種として投入された一式重爆撃機四型だったが、主に激戦の続く英国本土駐留部隊に優先して配備が開始されていた。
 その一方で地中海戦線では配備が遅れており、この方面では配備数が増大するまでは充実した電子兵装をかわれてまず各級の指揮官機として運用されていた。飛行戦隊単位で四型が纏まって使用されたのはイタリア本土への上陸作戦からであった。
 その充実した防御機銃、電子兵装によって一式重爆撃機四型の防御力は著しく向上しており、大戦中盤以降の日本陸軍重爆撃機部隊の主力機として運用されていたが、やはり他国軍の同級機と比べて性能表上における爆弾搭載量の少なさは否めないものであり、他の国際連盟軍で多用されることはなかった。
 特に防御機銃は貧弱なものの搭載量の大きいランカスターなどの四発重爆撃機を多用する英国軍とは運用が正反対なこともあって、英国空軍士官などは一式重爆撃機四型を兵装に対する爆弾搭載量から爆撃機ではなく戦闘機ではないのかと揶揄する声も上がっていた。
 ただし、これは英国製重爆撃機の脆弱さと合わせて考える必要があり、単純な皮肉とはいい難い側面もあった。この一式重爆撃機四型を重爆撃機としては採用しなかった英国空軍でも、一部の機体が電子兵装などをむしろ増設して、爆撃機ではなく電子戦機などの特殊戦機として運用していたからだった。


 


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