一式重爆撃機三型




一式重爆撃機三型(一式重襲撃機)


<要目>
全幅30.5m 全長24m 自重15.9トン 乗員10名 武装75ミリ砲×1、30ミリ連装機銃×1、20ミリ連装機銃×3 エンジン出力1500hp×4 最大速度500km/h 航続距離3,600km

 日本陸軍は九七式重爆撃機を改装し、高射砲を原型とした75ミリ砲という大口径砲を装備した九七式重襲撃機を開発配備したが、本来の目的である対空網制圧任務は限定的な使用に限られていた。
 九七式重襲撃機は、一般的な双発戦闘機等と同様に、大口径砲を機首に装備した形態であった。しかし、この配置の場合は初弾を外した場合、無防備な態勢を敵高射砲の目前に晒すことになる。
 大口径の75ミリ砲の再装填を動揺する機内で行うのは難しく、副操縦士を装填手専任に充てていても再装填にはかなりの時間が必要だった。そのため一航過中に複数発を発砲するのは至難の業だった。

 この九七式重襲撃機の戦訓をうけて兵装等の機内配置を見なおした上で、より大型の四発機である一式重爆撃機を原型として開発されたのが一式重爆撃機三型(一式重襲撃機)である。
 その最大の特徴は、対地射撃を継続して行うために、搭載した大口径砲を機首固定ではなく、側面に左翼側を向けて配置されたことにある。一式重襲撃機が対地射撃を実行する場合は、左舷を対地目標に向けながらゆるやかに旋回を続けることになる。
 これによって搭載砲は常に照準を固定して目標に連続した射撃を行うことが出来るのである。

 その搭載砲も、九七式重襲撃機が旧式化していた八八式野戦高射砲を改造して搭載したのに対して、地上の敵高射部隊をアウトレンジするために、より射程の長いボフォース社製の75ミリ高射砲に切り替えられていた。
 この75ミリ砲は、前述のとおり機体左側面に配置されていた。砲装備の風防は側面機銃座に準じたもので、機首側半分に半球状の固定式風防があり、その後方に上下左右に旋回可能な砲座と一体化した風防が配置されていた
 なおこの搭載砲は機体後方には比較的広い射界が確保されていたものの、主翼後端部の上側に隣接して配置されていたため、前方への射界はほぼ無かった。機首側風防が固定式となっていたのは、前方からの砲座への風の吹付けを防ぐと同時に、自機の主翼を射撃しないための防止装置も兼ねていたようである。

 この大口径砲のほかの搭載火器も重爆撃機型よりも格段に強化されたものが搭載されていた。
 従来から強化が求められていた尾部20ミリ機銃座は、重爆撃機型に先駆けて単装から連装へと火力が倍増している。
 下部後部機銃座は20ミリ機銃以上の大威力長射程を持つ30ミリ連装機関砲が搭載されている。30ミリ砲弾の弾種は徹甲弾のほか大威力炸裂弾であるマ弾が用意されており、主砲である75ミリ砲の再装填時間をカバーするために同一目標を射撃するケースが多かった。
 その他、高射砲周囲の機銃座を制圧するのにも連装機銃座は積極的に使用された。

 機首機銃座も重爆撃機仕様の二型で装備されていた12.7ミリ連装機銃ではなく、翼端援護機仕様であった一型と同形状の20ミリ連装機銃座が使用されている。機体上部の機銃座は二型までと同じ20ミリ連装機銃だったが、電子兵装用の樹脂製風防を装備するために、装備位置が前方に移設されており、また射界を確保するため、やや機銃装備位置が上部に変更されている。
 この長大な電子兵装用風防に収められる兵装は、必要に応じて選択出来るように設計されていたが、おおむね敵飛行場を襲撃する航空撃滅戦では、高射砲を指揮するための射撃管制用レーダーを妨害するために、大電力の電波妨害装置を搭載することが多かった。

 これらの銃砲、電子兵装が充実した一方で、一式重襲撃機では他の装備品や、機体構造の強化のために爆装能力は完全に失われている。
 翼端援護機仕様や、九七式重襲撃機では一応は爆弾倉そのものは残されていたのだが、一式重襲撃機では大口径砲の反動の抑制や敵弾からの防御のために構造上の弱点となる開放式の爆弾倉扉を廃止して、代わりに頑丈な桁材が追加されている。
 他の重襲撃機は、爆弾倉に爆弾を搭載する事こそ少なかったものの、フェリー装備として爆撃機仕様と同様の追加燃料槽を収納することが可能であったが、一式重襲撃機では装備が不可能となっている。
 そのため、長距離巡航時には、主翼下に特別装備の増槽を装備していた。

 本来、航空撃滅戦における敵飛行場襲撃の際に敵高射砲を撃滅する露払いのために開発された一式重襲撃機であったが、複数の高射砲を配置した要地に対しては定速度で旋回を続ける一式重襲撃機の戦闘機動は、容易に未来位置を予想されてしまうために損害が少なくなかった。
 また、重爆撃機仕様以上の重装甲と強力な火砲を有しているとはいえ、やはり攻撃時には特定の機動を取らざるをえないため、敵戦闘機を相手取るのは難しく、味方機によって制空権を把握された時に最大限の戦力を発揮することが出来た。
 そのうえ、重武装と引き換えに最高速度も重爆撃機仕様よりも遅いため、爆撃機型と編隊を組むのも難しく、よほど大規模な戦爆連合編隊による攻撃でない限り、爆撃機装備の他隊と共同で作戦を行うことはなかった。
 実際には、一式重襲撃機は、満足な対空火器を持たないゲリラ兵などを相手にする方が多かった。事実、日本陸軍に制式採用されると同時に少数機の運用を始めていた満州国軍では、蠢動する共産勢力に対する対地攻撃機として使用されていた。
 その他に第二次欧州大戦当時は、自走対空機銃程度しか装備していない機甲部隊を襲撃することも少なくなかった。
 長射程の高射砲を有していない場合、重装甲の機甲化部隊であっても射程外から一方的に砲撃をうけてしまうために恐れられていた。


 


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