一式重爆撃機




一式重爆撃機原型



一式重爆撃機一型(翼端援護機)


<要目>
全幅30.5m 全長22m 自重10.5トン 乗員6名 武装無し エンジン出力950hp×4 最大速度440km/h 航続距離3,100km(原型)
全幅30.5m 全長24m 自重12.5トン 乗員10名 武装20ミリ連装機銃×3、20ミリ単装機銃×3 エンジン出力1200hp×4 最大速度485km/h 航続距離3,000km(一型(翼端援護機))

 日本陸軍が約十年ぶりに制式採用した四発の重爆撃機として誕生したのが一式重爆撃機である。
 フィリピンのコレヒドール要塞襲撃を目的として、三菱がユンカース製K51爆撃機のライセンス生産として製造した九二式重爆撃機は、日本陸軍初の四発重爆撃機ではあったが、旧式化のため生産数はわずか六機であり、本格的な四発重爆撃機としては一式重爆撃機が日本陸軍初の制式採用機となった。
 一式重爆撃機は中島飛行機が開発生産を行ったが、その設計は九七式重爆撃機の競合試作時に三菱製キ21と争い不採用となったキ19が元となっているが、同時に技術参考機として密かに輸入されていたボーイング社のモデル299(正確にはその民間機仕様)の設計も参考にされていたようである。

 大型の四発重爆撃機として開発された一式重爆撃機であったが、九七式重爆撃機の後継機というわけではなく、ハイローミックス、あるいは攻撃機と(重)爆撃機として同時に生産、運用がなされている。
 九七式重爆撃機がありながら、より大型で高価な一式重爆撃機が開発されたのには、日本帝国も注目していたスペイン内戦の戦闘経過から得られた戦訓があった。航空機関連技術の進歩から導き出されていた戦闘機無用論が疑問視されたのである。
 それまで高速化した攻撃機を戦闘機が迎撃するのは難しいとされていたが、スペイン内戦ではしばし高速で進入する攻撃機を有力な戦闘機部隊が阻止し得た。戦闘機無用論は、技術の進歩によって高速な攻撃機が得られた段階で唱えられた一時的な現象であり、その技術で戦闘機が開発されれば、より搭載量の少ない戦闘機が高速となるのは当然のことだった。
 日本陸軍はこれに対抗するために、長駆敵地に侵攻する爆撃機を援護するための遠距離戦闘機の開発と同時に、爆撃機自身にもより協力な自衛火力が必要であると考えた。
 一式重爆撃機は、この自衛火力を強化した重防御の爆撃機として開発された機体であった。

 一式重爆撃機の原型機が完成したのは1940年初頭のことで、社内試験の後に陸軍の審査が開始された。
 この原型機は、九七式重爆撃機に搭載されたのと同型のハ5を搭載していたが、これは当初から暫定的に搭載されたものであり、中島飛行機は、当時ブリストルと共同開発していたハ5の全面改良型であるハ41への換装を原型機の完成当時から想定していた。
 爆弾倉はキ19の構造を踏襲し、二つ折りとなっており、爆弾搭載量は九七式重爆撃機の倍となる2トンとなっていたが、敵基地を破壊する航空撃滅戦を想定していたため小型の焼夷爆弾を想定しており、機体寸法の割にはカタログ上の爆弾搭載量が少なかった。
 そのため後に英国空軍では四発機故の初期コスト、維持コストが高くつく割りには爆弾搭載量が少ないとして制式採用はされなかった。
 原型機には後の制式採用機に準じる防弾板などの防御装備は装備されていたものの、防御機銃は同重量のダミーが搭載されていた。

 重装甲と重武装を装備しながら、従来の日本陸軍の爆撃機と同様の高速性能を発揮するための四発機となった一式重爆撃機は、従来の双発重爆撃機と比べ相応に高価な機体となった。そのため当初は数を揃えることは難しいと考えられ、開戦直後の第一撃など、敵軍の激しい反撃が予想される重要局面にのみ集中して使用するものとされていた。
 また、防御力の劣る双発の九七式重爆撃機と編隊を組み、援護する翼端援護機として重火力を施された一式重爆撃機一型が、純粋な爆撃機型である原型機を改設計して開発された。

 一式重爆撃機一型は、重爆撃機とは呼称しつつも実戦では爆装することは少なかった。一応は原型機と同様の爆弾倉を備えていたが、九七式重爆に随伴して護衛任務に就く際は、兵装、断薬分の重量増加を相殺するため爆装しないケースが多かったようである。
 爆装を半ば断念してまで手に入れた兵装は、スペイン内戦の戦訓を反映して強力なものが装備された。味方爆撃機編隊を襲撃する高速戦闘機の射程外から対処するため、大口径の20ミリ機関砲を連装、単装合わせて計9門が装備された。
 特に三基が上下部に分けて配置された連装機関砲塔は、編隊飛行時の弾幕展開を考慮して、何れも左右180度以上の広い射界を有していた。

 援護すべき九七式重爆撃機が防御火力、防弾装備を充実させた三型に生産、運用が移行されたために、一式重爆撃機一型の翼端援護機という本来用途での使用期間は短かった。
 しかし、同様に翼端援護機仕様が開発された一式陸攻改(G6M1)が、防御兵装による重量増加によって機動性、速力が低下し、特に爆撃終了後の身軽となった通常機の編隊に随伴できないなどの問題点を露呈したのに対して、一式重爆撃機一型は随伴する九七式重爆撃機との性能差があったため投弾後の機体にも随伴出来たため、特に部隊からは編隊運用時の問題点は挙げられなかった。
 だが、飛行戦隊内で異なる種類の機材が入り混じるため、整備や物品管理の手間はかかっていたようである。
 その為もあってか、九七式重爆を使用する飛行戦隊が三型に転換するに従って、一式重爆撃機一型は単一の飛行戦隊にまとめて運用されるようになっていた。


 


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