一〇〇式輸送機




一〇〇式輸送機一型



一〇〇式輸送機二型


<要目>
全幅22.5m 全長16m 自重6トン 乗員3名 武装無し エンジン出力950hp×2 最大速度432km/h 航続距離3,000km(一〇〇式輸送機一型)
全幅25.6m 全長19m 自重8トン 乗員3名 武装無し エンジン出力1560hp×2 最大速度455km/h 航続距離3,000km(一〇〇式輸送機二型)

 第一次欧州大戦後に国外派遣が常態化した日本陸軍は、急速に発展する航空技術を背景に輸送機の取得を開始した。日本陸軍における輸送機とはまずもって航空部隊の迅速な展開を支援するための人員輸送用だった。これは航空部隊を前線で稼働させるのに必要な搭乗員以外の膨大な整備員などを輸送するためのものであった。
 輸入機の国産化などから脱却した本格的な国産技術による輸送機として開発が進められたのが三菱重工が製造した一〇〇式輸送機だった。
 最もその設計は完全に一から進められたというわけではなく、先行して制式採用されていた九七式重爆撃機を原型として輸送機としての機能を満たすべき必要な改設計が行われたものだった。

 改設計の内容は、まず輸送機としては当然不要な爆弾倉やそれに付随する構造物を輸送機向けに改修することだった。九七式重爆撃機は、他の爆撃機と同様に操縦席後部に縦長の爆弾倉を抱えており、その両脇から主翼が伸びており、また両翼を繋ぐ桁が爆弾倉を貫いていた。
 しかし爆撃機であればともかく、中央部を貫く両翼を繋ぐ桁は輸送機には邪魔な構造であったため、主翼取り付け位置を中翼から低翼として主翼の横桁を主床の下に配置していた。
 低翼配置によって操縦席から水平尾翼先端間近まで広げられた床板の上には兵員輸送用の椅子が設けられていた。この椅子の配置にはいくつかバリエーションが有ることが知られており、独立した座席を二列ずつ配置された高級要員などの輸送用のものや輸送効率を重視して長椅子としたものもあり、兵員の輸送能力は各型などによっても異なるが最大で武装した兵員を三〇名弱程度輸送することが出来たようである。
 より大型の輸送機が主に使用されたこともあってあまり貨物を輸送した実績はないが、その場合は座席をすべて撤去して空間を開けて行われることが多かったようである。また座席を多段の寝台に替えた負傷者輸送用も生産されており、戦時中は戦地と日本本土を往復していた。
 輸送スペース以外の設計変更点としては射撃兵装の完全な廃止など爆撃機として必要であった機能の簡略化が主なものであった。

 就役した後の一〇〇式輸送機は航空撃滅戦を主目的とした重爆撃機が原型であったためか高速ではあるものの輸送量は少ないと評価されていたが、初の実戦となった第二次欧州大戦では日本本土から遠く離れた地域が戦場となったために高速輸送可能な一〇〇式輸送機の評価は高まっていた。
 日本軍の参戦後は英国や国際連盟加盟諸国軍に供与された機体も少なくなかった。しかし戦時量産型とも言えるこれらの機体は制式化された後の不満点を解消した二型となっていた。
 一〇〇式輸送機二型は一型で不満だった輸送量の拡大と縦安定性の不足を解消するもので、概ね九七式重爆撃機三型の改装点をなぞったもので胴体の延長が行われていたが、換装されたエンジンは重爆撃機ほどの高速を要求されてわけではないために九七式重爆撃機三型が搭載した火星系列ではなく、より小出力の金星エンジンだった。
 いずれのエンジンにせよ三菱重工業の自社製エンジンでありこの時期は海軍の空母搭載機などに多数が採用されていた信頼性の高いエンジンだった。
 一〇〇式輸送機二型では胴体とともに主翼も延長されており、翼面積の拡大によって火星系よりも小出力の金星系エンジンであっても長い航続距離と輸送量の拡大を両立させていた。
 また完全装備の兵員を乗り降りさせたとしても装具が引っかからないように機体後部の扉の寸法が拡大されるなど細かな改造点も少なくなかった。

 戦時の膨大な需要を満たすために大量生産された一〇〇式輸送機二型の生産数は輸送機としては極めて多く、海外に売却された一部の機体はエンジン換装などを経て二一世紀になっても現役で使用されている機体もあった。


 


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