三式自走砲





三式自走砲



<要目>
重量30.7トン、全長6.5m、エンジン出力500hp、乗員6名、装甲厚35ミリ(最大)、武装23.6口径14.91センチ砲×1、最高速度35km/h

 三式自走砲は、日本陸軍が一式自走砲に引き続いて開発した支援砲撃任務用の自走砲である。一式自走砲が7.5センチ九〇式野砲及び10.5センチ九一式榴弾砲を搭載するのに対して、三式自走砲はより大口径の15センチ九六式榴弾砲を搭載した。
 この時期、日本軍は師団砲兵連隊の装備を7.5センチ野砲と10.5センチ榴弾砲の組み合わせから、10.5センチ榴弾砲と15センチ榴弾砲の組み合わせへと変更して強化を図っていた。7.5センチ野砲を搭載する一式自走砲一型は制式化と同時に、師団砲兵連隊に配備する砲機材としては旧式化していたのである。
 特に一式自走砲は、戦車や装甲兵車を大量に装備して機械化をはかった機甲師団隷下の機動砲兵連隊に集中配備されていたが、強力な打撃力と機動力を併せ持つはずの機甲師団の支援火力が、一般師団よりも弱体という矛盾が生じていた。
 この矛盾を解消するために、15センチ級砲を搭載する自走砲として三式自走砲は開発されたのである。

 共に2トン弱程度の放列重量の7.5センチ九〇式野砲及び10.5センチ九一式榴弾砲に対して、15センチ九六式榴弾砲は、同重量が4トン以上に達するため、携行弾薬の重量を含めて考慮すると、九七式中戦車を原形とする一式自走砲の車体にそのまま搭載することは不可能であった。
 そのため、三式自走砲の車体には、後継となる三式中戦車の制式化によって、主力中戦車としては旧式化した一式中戦車の車体が流用された。
 一式中戦車の車体は、7.5センチ砲を固定装備する一式砲戦車の車体としても利用されており、二〇トン級の車体と五〇〇馬力の水冷ガソリンエンジンは、大口径砲を搭載する自走砲の車体としても十分に使用することが出来た。
 しかし、車体前部に砲塔を上部に置く戦闘室を配置した戦車用の車体では、より長砲身かつ大遠距離砲撃を行うために大きな仰角を取る必要のある一五センチ榴弾砲を、そのまま搭載するのには戦闘室容積が不足しており、三式自走砲では、一式中戦車の前後を逆にして配置して、戦車としては車体前方となる部分を開放式として、装砲及び補給時の給弾を容易とさせていた。
 一式中戦車の車体前部及び上部の装甲板などは取り除かれており、その場所に前後逆に九六式榴弾砲を搭載していた。
 九六式榴弾砲の周囲は、砲員を保護するために簡易な装甲板で囲われているが、長射程の九六式榴弾砲を搭載したことにより、三式自走砲の任務は全般支援および対砲兵戦と想定されたため、より近距離で行う直協任務に従事する一式自走砲と比べて装甲の必要性はさほど高くなかった。
 三式自走砲の車体からは、一式中戦車の操縦席は一旦取り除かれていたが、重装甲を廃した操縦席が再度砲室後方に備えられている。この主操縦席は、三式自走砲の向きとしては逆に備えられており、自走時は英国陸軍のアーチャー対戦車自走砲のように砲を後ろに向けて走行した。
 この操縦席からでは、砲身側の視界が全く無かったため、射撃陣地への進出など反対方向への走行のために、簡易な操縦装置が砲身脇に備えられていた。
 元が高機動の一式中戦車の車体を流用していたために、三式自走砲の機動性は、大重量の15センチ榴弾砲装備にもかかわらず、一式自走砲よりも優れていた。

 一式自走砲に引き続いて開発された機動砲兵用装備の三式自走砲だったが、制式化直前には早くも北アフリカに向けて増加試作されたものが移送されており、北アフリカ戦線終盤において第7師団隷下の第7機動砲兵連隊から配備が開始された。
 その後も機甲師団隷下の機動砲兵連隊や独立重砲兵連隊などの主力装備として配備されていった。


 


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