二式力作車





<要目>
重量20トン、全長6.20m、エンジン出力500hp、乗員3名、装甲厚50ミリ(最大)、武装7.7ミリ機関銃×2、最高速度50km/h

 二式力作車は、日本陸軍が九七式力作車に続いて開発した戦車回収車である。その原型となったのは一式中戦車であったが、同戦車の開発段階においては、二式力作車の開発計画は存在していなかった。
 この当時の陸軍技術本部の想定としては、新型の一式中戦車の回収も九七式力作車で実施する予定だと思われる。しかし、一式中戦車の試作車を使用して実際に回収作業の演習を行ったところ、一式中戦車の半分程度の車重で、エンジン出力も200馬力に満たない九七式力作車では牽引力が不足しており、九七式力作車の開発経緯と同様に、一式中戦車を原形とした回収車が開発されることとなった。
 この経緯から、一式中戦車の開発にやや遅れて回収車仕様が試作開始されたため、制式化は戦車型の一年後となり二式力作車と呼称された。

 開発が急がれた二式力作車の構成は、概ね九七式力作車と同一であり、牽引用のウィンチのほか、戦車隊段列への配備を前提として、野戦整備用にエンジン等の装備品を吊り上げるために、Aフレーム式クレーンが搭載されている。九七式力作車では吊り上げ用クレーンの作動には、外装式の電動式ウィンチが使用されていたが、二式力作車では車体を駆動させるための水冷式ガソリンエンジンから動力を分配している。
 動力分配時はギアを中立にした上で動力系統をクレーンに切り替える必要があったが、九七式力作車と異なり、安全な車内で操作は完結できた。クレーンの吊り上げ荷重は、主エンジンを使用することである程度は上昇していたが、主要部材を九七式力作車用のものから転用したため最大荷重は約七トンにとどまっていた。
 排土板も九七式力作車と同様の位置に配置されていた。また、自衛戦闘用の小型砲塔が搭載されている。この小型砲塔は、九七式力作車用に設計されたもののを、リベット留から溶接箱組構造に変更したものである。
 九七式力作車では、車体上に装備されたウィンチと電動機によって射界が制限されるために、全周囲への射撃は出来なかったが、二式力作車では障害物が無いため全周射撃も可能となった。また車体前面の機銃も残されていたため、この種の車両としては武装は多かった。
 しかし、実際には敵前回収時でも力作車の作業時には、支援用の戦車が投入されることが多く、ここまでの武装は必要なかったのではないかと後に判断されている。
 この他に、二式力作車では車体周囲に牽引用ワイヤやシャックル、その他の戦車段列作業用の工具箱が追加装備されていた。

 急遽開発された二式力作車だったが、陸軍技術本部ではあくまでもこの車輌は、後継車開発までのつなぎでしか無かった。一式中戦車の制式化以前から後継となる三式中戦車の開発が開始されていたからである。
 陸軍主力戦車の本命として開発が進められた三式中戦車は、二式力作車開発時点で30トンを大きく超える重量級の戦車となることが確定しており、当然二式力作車でも迅速な回収作業を行うには能力が不足しているのは明らかだった。
 結局は満足な回収作業を行うには、回収車輌にはその対象となる戦車を原形とするのが最適という教訓を得た日本陸軍は、それ以降は主力戦車の開発段階で回収車輌を派生型として開発するようになっていた。


 


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