一式中戦車改(乙型)







<要目>
重量29トン、全長6.50m、エンジン出力500hp、乗員5名、装甲厚50ミリ(最大)、武装38口径75ミリ砲、7.7ミリ機関銃×2(車体前方、随時司令塔に取付)、最高速度45km/h

 日本陸軍が対戦車戦闘を前提に開発した初の中戦車である一式中戦車は、対戦車砲と大部分の設計を同一とする長砲身高初速の57ミリ砲を搭載したものであった。
 本来同軍では仮想敵としていたソ連主力中戦車の予想性能に対しては57ミリ砲の威力はやや不足していると考えられていたのだが、これには高発射速度を活かした行進間射撃の連続により敵戦車を制圧しながら貫通距離まで接近させることで砲の性能差を補うものとしていた。
 設計期間の限られていた一式中戦車は、九七式中戦車の制式化にあたって大型で余裕がありながら高価であったために競合試作で敗れたチハ車を原型としており、この時より大口径の野砲か旧式高射砲の設計を転用した3インチ級砲の搭載も検討されたものの、チハ車から流用された車体の砲塔リング径ではこれには不足しており、砲塔周辺の構造を流用するためにこの時点では57ミリ砲の搭載を余儀なくされていたのである。

 一式中戦車は日本軍の主力として配備されて、北アフリカ戦線における日本帝国の正式参戦と同時に前線に投入された。
 しかし長砲身とは言え57ミリ砲では砲弾の容積が少なく、一式中戦車は長砲身砲を装備した三号戦車に対しては優位であったものの、四号戦車F2型以降の長砲身75ミリ砲を装備した後期型との戦闘は格段に不利であり、固定式戦闘室に野砲を転用した38口径75ミリ砲を装備した一式砲戦車の支援が必要とされることも少なくなかった。
 また、当初想定されていた連続した行進間射撃の実施による近接戦闘の強要という戦術も、相手が地形の利を活かす技術を有する熟練した戦車部隊の場合は難しく、一発あたりの砲弾威力が重要との戦訓もあった。

 北アフリカ戦線の終盤には早くも一式中戦車の後継となる38口径または56口径の75ミリ砲か本来自走砲に搭載されていた短砲身の105ミリ砲を備えた次期主力となる三式中戦車の配備が開始されていた。
 しかし、三式中戦車の配備が開始されたとしても、部隊に配備済みの一式中戦車、砲戦車の数は多く、生産ラインも徐々に移行してはいたものの従来型の生産もしばらくは継続されていた。
 そこで、一式中戦車及び砲戦車に現行の戦車に対抗できる能力を獲得することを目指して改設計が行われた。

 一式砲戦車乙型と共に改造されたのが一式中戦車乙型であり、基本的に従来一式砲戦車や三式中戦車の初期型が装備していた野砲改造の38口径75ミリ砲の搭載を前提として改設計されたものである。
 以前検討されていたように一式中戦車の砲塔リング径では、より余裕のある三式中戦車とは異なりそのまま75ミリ砲を搭載することはできなかったが、従来砲よりも砲耳位置を後退させて機関部を含む砲全体をより前方に配置させると共に防危板の形状変更などによる装填スペースの捻出や、後座量の増大などの駐退復座機の能力増強による反動の抑制により、リング径の変更などの砲塔の大きな改設計を行うことなしに75ミリ砲の搭載を可能としていた。
 しかし、砲身を前方に突き出したとしても、57ミリ砲に比べて大きな75ミリ砲の機関部を収納すると同時に、干渉なしに狭い砲塔で十分な仰俯角度を与えるために、砲塔天蓋を砲身後部の機関部のある中央部のみを上部に拡張していた。
 これにより野砲転用の巨大な75ミリ砲の機関部を一式中戦車の砲塔構造を大きく変更すること無く搭載することが可能としたものの、砲塔右側後部に設けられた車長用の監視塔からの視界は、この天蓋拡大部によって制限されてしまうため車体左側の死界は大きかった。
 また、砲身と機関部を含む全体のバランスが崩れたために強力な緩衝バネを使用した平衡機を用いてバランスを補正しており、やや挙動が大きく行進間射撃に支障をきたすこともあったようである。

 一式中戦車乙型は、車体や砲塔の設計を流用して強引に大口径砲を搭載したことから、運用に制限が大きく、容積重量が57ミリ砲弾より増したことから砲弾搭載数も減少したものの、威力は格段に大きくなっており、特に榴弾の炸薬量は三式中戦車が搭載した長砲身故に砲身内圧力の高い56口径75ミリ砲よりも大容量となったことから、歩兵部隊の支援にはより重宝されることとなった。
 同時期に38口径75ミリ砲から56口径砲に備砲を換装した一式砲戦車乙型が、固定式戦闘室に搭載された長砲身砲の運用の難しさなどから少数配備に留まったのに対して、一式中戦車乙型も運用には支障を期待していたものの一式砲戦車乙型ほどではなく実質上歩兵部隊支援用の歩兵戦車的な運用を行うには十分だと考えられていた。
 また、57ミリ砲の速射に対して発射数は少ないながらも75ミリ砲は砲弾の重量も大きかったことから、徹甲弾であれば対戦車能力も予想以上に向上しており、三式中戦車の配備数を補うには十分な性能を有していた。

 また、同時期には対戦車戦闘能力を重視して三式中戦車の生産が長砲身搭載型に集中し始めたことから戦車砲型の38口径砲の生産には余裕が出始めていた。
 三式中戦車の備砲用とされたものと一式中戦車乙型に搭載されたものでは反動を抑制する必要があったことから駐退機の構造などは異なっていたものの大部分は転用可能であったことから一式中戦車乙型の生産数を拡大することも可能であった。
 これに加えて生産が開始されたばかりの56口径砲用の大容積の砲弾よりも、野砲として長く運用されていた38口径砲弾は在庫だけでも十分な量があり、日本軍砲兵連隊の主力としてはより大口径砲に移行していたものの戦場で運用される同砲の数はまだ多かったことから現状の生産数も多く、一式中戦車乙型の運用に支障は生じることはなかった。

 同時期に改造を受けた一式砲戦車乙型が短期間で実運用を修了してしまったのに対して、砲塔式のために険しい山岳地帯での戦闘が連続したイタリア戦線により対応していた一式中戦車乙型は、装甲厚は変わらなかったために対戦車戦闘では敵新型戦車に対して不利だったものの、従来型と比べても運用上の支障以上に戦力向上が著しく部隊によっては終戦まで運用を続けた場合もあり、三式中戦車を購入できない諸外国に売却された車両の中には長く運用されたものもあった。


 


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