一式砲戦車改(乙型)





<要目>
重量30.1トン、全長6.50m、エンジン出力500hp、乗員5名、装甲厚60ミリ(最大)、武装56口径75ミリ砲、7.7ミリ機関銃×2(車体前方、随時司令塔に取付)、最高速度45km/h

 1943年に制式化される以前から生産が開始されて第二次欧州大戦中盤以降の日本軍の主力戦車となった三式中戦車は、それまで予想されていたソ連軍次期主力戦車に対抗するために開発された日本軍戦車の集大成とも言うべきもので、その高い完成度からそれ以前の主力戦車を一夜にして旧式化してしまっていた。
 その旧式化されてしまった一式中戦車及びその固定式戦闘室、大口径砲搭載型の一式砲戦車だったが、生産ラインこそ徐々に生産数の拡大が図られた三式中戦車に変更されていったものの、部隊配備済の一式中戦車、一式砲戦車の数は少なくなく、これの近代化による再戦力化が図られることとなった。

 この再戦力化改装が施された一式砲戦車が、俗に一式砲戦車改と呼ばれた乙型だった。
 改装点は少なく、実質上従来搭載していた野砲を原型とする38口径75ミリ砲を、より高初速の高射砲由来の56口径砲に換装しただけといえた。元々再戦力化改装にあたっては、場合によっては前線の野戦兵器廠などでの工事で改装することも考慮されて簡易なものに抑えられていた。
 このため改装にかかる費用も安価なもので、砲戦車の車体や艤装が搭載する高初速75ミリ砲に完全に対応出来ていたとは言いがたかった。
 弾薬箱は高初速砲用の大容積の薬莢に合わせたものに交換されていたが、他の艤装品はほぼそのままであり、強大な反動を押さえ込む駐退機を含む砲の搭載スペースを捻出するため、巨大な円錐型の防盾を追加して砲身の回転軸となる砲耳自体を前方に突出させて配置していた。
 一式砲戦車の原型と乙型との変更点はこの長砲身砲の搭載のみと言っても良かったことから、実際に前線で改装された車両も多く、後方で新規に製造された車両よりも圧倒的に兵器廠や場合によっては戦車隊の段列で改造されたもののほうが多かったようである。
 本来の仕様では、装薬量の多い高射砲系列の砲弾の発砲に対応するために、三式中戦車と同型の大容量型の換気装置に換装されるはずだったが、発砲そのものには支障がないために前線で改造されたものの中には従来の換気装置のままであるものも少なくなかった。

 一式砲戦車乙型は前線での改造工事を前提として、改造キットの形で生産されたもののが多かったが、そのように現状に合わせた形の設計は運用上少なからぬ支障をもたらすこととなった。
 従来よりも遥かに長く車体から突き出した砲身は起伏の激しい地域での機動時に障害物に接触させて破損させる傾向が強く、通常の砲塔式の戦車とは異なり移動時に後方に回しておく事もできないため戦闘前に砲身を破損させた車両は少なくなかった。
 また、従来と比べて砲耳を前方に突き出してしまったために仰俯角の制限がより強くなっていたことも、この機動時の損傷を拡大させた原因だったと考えられている。
 勿論この仰俯角の制限は戦闘時にも不利に働いており、近距離での戦闘では従来型よりも不利になることが少なくなかった。
 また、高射砲系列の弾薬は薬莢の寸法も長く、車内の搭載弾数は大きく減少していた。高初速化が図られたことから徹甲弾の貫通能力こそ大きく向上したが、それゆえに榴弾の炸薬量は減少しており、一長一短とも言えた。

 一式砲戦車乙型にとって最も逆境となったのは、戦線への投入時期が激しい起伏が連続するために近接戦闘の可能性の高かったイタリア戦線の開設と同時期になってしまったことにあった。それ故に各種の欠点が強調された一方で、従来型に比べて強化された遠距離砲撃能力などが評価されなかったのであろう。
 また、三式中戦車の戦車部隊への配備によって戦車でも3インチ級の砲を装備するようになったことから制限の強い固定戦闘室方式の砲戦車部隊は対戦車戦闘から解除されて歩兵支援用に転用される事が多く、それも敵陣地への射撃に適した炸薬量の多い榴弾を使用できる従来型の方が好まれた原因となっていた。
 それ以前に、長砲身の製造が難しかったことからこの時点ではまだ歩留まりの悪い56口径砲は優先して主力である三式中戦車に配給されることが多かったことから、一式砲戦車の改造に回せる資材は制限されていた。

 これらの数多くの理由から最前線では一式砲戦車乙型を装備した日本軍部隊の数は少なく、一部の満州共和国軍部隊を除けば国際連盟加盟国軍に供与されたものも少なかったようである。


 


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