一式装甲兵車




一式装甲兵車一型



一式装甲兵車二型



一式装甲兵車三型



<要目>
重量10.5トン、全長4.8m、エンジン出力150hp(240hp:三型)、乗員3+12名(一型)2名(二型)3+8名(三型)、装甲厚20ミリ(最大)、武装、なし(随時重機関銃取付)(一型、二型)、2センチ機関砲×1、7.7ミリ機関銃×1(三型)、最高速度50km/h

 日本陸軍は1930年代にそれまで戦車を運用していた歩兵科の一部と装甲車の呼称ながら実質上は偵察用軽戦車を運用していた騎兵科を統合して機甲科を新設したが、これと同時に機甲科が運用する戦車と自動車化した機動歩兵の一体運用も研究が本格的に行われた。
 だが機動歩兵部隊が従来使用していた装輪式の自動貨車では不整地では戦車に随伴出来なかったため、不整地行動能力の獲得を前提としたあらたな装甲兵車が開発された。日本陸軍の予想戦場であるシベリアーロシア帝国、ソ連国境線から満州国境線に至る大陸中央の広大な戦域の多くは山岳地帯などの険しい地形が連続しており戦車を中核とした諸兵科連合部隊の機動性を確保するには装軌式車輌が必要不可欠だった。

 いくつかの試製された装軌車輌の後に最初に制式化された装甲兵車が、完全装軌式の一式装甲兵車と後部の履帯と前半に装輪を備えた一式半装軌装甲兵車の二種類だった。
 二種類の装甲兵車が同時に開発されたのは、装軌式と半装軌式のどちらが優位なのかという論争が解決しなかったためであったが、結果的に高価な完全装軌式の一式装甲兵車と比較的安価な一式半装軌装甲兵車とのハイローミックスとなった。
 一式半装軌装甲兵車は半装軌な分安価だったが、超壕能力や装甲厚などで点で完全装軌式の一式装甲兵車には劣っており、一般の歩兵部隊などに多く配備されたのに対して、高価な一式装甲兵車は機甲化された第7師団などの一部の装備優良部隊への配備にとどまっていた。

 一式装甲兵車は、一式半装軌装甲兵車同様にいくつかのサブタイプが開発されていたがやはり高価であったためか一式半装軌装甲兵車ほどの種類は無かった。迫撃砲や通信機器の運搬を目的としたサブタイプは態々高価な完全装軌式を用いる必要が無かったためであろう。
 数少ないサブタイプの原型となったのは当然歩兵輸送用の一式装甲兵車一型である。制式採用当初はすべてが兵員輸送型であったため一型の呼称は後に新たに名付けられたものである。
 歩兵輸送車両としての能力は一式半装軌装甲兵車一型と大差は無かったが、輸送量は半装軌式よりも優れており噴進砲や簡易無反動砲、さらに防弾衣などを配備された重装備の機動歩兵であってもある程度の余裕を持って収容することが出来た。
 一式半装軌装甲兵車と違って上部も完全に閉囲されており、装甲厚も大きかったことから防弾性能は高かった。上部は閉囲されていたが、収容された兵を迅速に下車させるために後部扉に加えて車体中央部左右にも扉が追加されていた。
 特に固有の武装はないが、車体前半上部には必要に応じて車載用重機関銃を取り付けるマウントが設けられていた。
 一式装甲兵車一型は、一式半装軌装甲兵車よりも不正地走行能力などは優れていたが、兵員輸送能力の優劣は殆ど見られなかったため、第二次欧州大戦へ日本陸軍が参戦した当時は第7師団隷下の機動歩兵連隊などの一部への配備に留まっていた。

 一式装甲兵車二型は数少ない兵員輸送用ではないサブタイプで、装甲運搬車仕様であった。一型の乗車部分を完全に排除して幌付きの貨物搭載スペースに充てている。
 車体後部に加えて輸送任務では装軌式のトレーラーを連結して運用するケースが多かった。本来は戦車部隊に随伴して行動するための装軌車輌だったが、実際には装甲化された機動砲兵の支援用に弾薬を移送する任務が多かったようである。
 そのため配備先は機甲化師団の輜重兵連隊などに限られていた。

 一式半装軌装甲兵車一型に対して中途半端な存在になってしまった一式装甲兵車一型の反省から、随伴する歩兵部隊を支援するために重装甲重兵装化によって差別化を図ったのが一式装甲兵車三型である。
 これには戦訓も影響を与えており、従来の兵員輸送専用の軽装備車輌では同種の装備を有した部隊と接触した際に対処能力が無いため、乗車させた歩兵部隊の支援と共に、敵軽車両程度は自力で排除出来るだけの重火力と共に戦車に準ずる重装甲が必要と判定されたもので、これは後の歩兵戦闘車に相当するものだった。
 同時に日本陸軍では九五式軽戦車以降途絶えていた偵察用戦車の代替としても運用する想定だった。

 装備された備砲はある程度の対戦車能力も有する機関砲で、原形は対空機関砲だった。二〇ミリという大口径は当時の主力となる中戦車以下であれば撃破も可能なものだった。これに加えて対歩兵戦闘用の持続射撃用に同軸で7.7ミリ機関銃も車体中央部に新設された小型砲塔に装備されていた。この砲塔には車長と機銃の操作を兼ねる砲手の二名が配置されていた。
 砲塔を装備したために、車体後部の兵員輸送スペースの定員は左右のシートに四人ずつの計八名に削減されていたが、本来小隊支援火器レベルの大口径機関砲の支援が得られることから、一両単位での火力は純粋な兵員輸送車輌よりも優越していると判定されていた。
 兵員輸送スペースは車内からの射撃を可能とするために小型扉が設けられており、銃眼として使用することが出来た。また上部にも個人用の扉が設けられていた。
 これらの重装備に十分な機動性を与えるために、一式装甲兵車三型では車体前方右側に搭載されていたエンジンはより大出力なものに換装されていた。
 重装甲に大火力、大出力エンジンを搭載した三型はひどく高価なものになってしまったため、第二次欧州大戦では第7師団隷下の機動歩兵連隊に一型に代わって配備された他は、一部の偵察能力を求められた機甲化師団の捜索連隊装甲車中隊などへの限定配備に留まっていた。
 このうち偵察車両として運用される場合は偵察兵を多数乗せる必要はないため、シートを削減する代わりにその空間を予備弾薬や追加無線機搭載用に割り当てられていた。
 車両の中には射撃用の小型窓を廃止して装甲板で塞がれていたものもあったようである。


 


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