仮想戦記(仮 年表



1864年
 水戸藩と米国艦隊が砲撃戦、那珂湊焼失。事件後水戸藩の政治体制は大きく変化する。

19世紀後半
 フランス陸軍でドイツへの情報漏えいが発覚する。通称ドレフェス事件。事件そのものは参謀本部情報部長に就任したピカール中佐の手で解決されるが、ユダヤ人の多くが本土での迫害の為マダガスカル島に移住する。

1890年
 ハワイ王室カイウラニ王女と山階宮定麿王成婚、ハワイ王国存続
 米西戦争後アメリカはグアムの基地化を推進

1900年代
伊藤博文暗殺未遂事件勃発、大韓帝国は保護国のまま、併合せず

1910年代

 モンロー主義を掲げ欧州大戦に参加しなかったアメリカ
 日本陸軍が中東戦線を皮切りに欧州に一個軍団を派遣。被害甚大なるも戦訓を得る。イラン王国内の石油利権の他、これにより日英同盟強化
 関東大震災起こらず

1916年
 ユトランド沖海戦にデイヴィッド・ビーティー中将指揮下の巡洋戦艦部隊に第三特務艦隊として金剛以下巡洋戦艦四隻、一個駆逐戦隊が参加。駆逐艦数隻撃沈他小破多数あるも戦果大
 第二特務艦隊による護衛戦により対潜戦術の戦訓を得る。またこれらの被害により研究機関として海上護衛総隊創設

1919年
 シベリア出兵中にヴォスネセンスキー・ユサール連隊によって保護されていたマリア、アナスタシア両皇女を海軍陸戦隊が保護
 皇女を象徴として立憲君主制に移行したシベリア−ロシア帝国成立、後見人としてロシア大公キリル・ウラジーミロヴィチ。
 バイカル湖周辺を実質上の国境線として国境紛争が常態化する。シベリアーロシア帝国を反共防波堤として日英同盟が利用。アメリカは帝国存続を反対。政治問題化
 これ以上の防波堤の意地が薄れ日本帝国の中国・朝鮮半島への興味が薄れる

1920年代

 シベリアロシア帝国への駐留長期化を理由として海軍警務隊設立
 一定の国力成長があったとして大韓帝国への大規模な援助停止
 マリア・ニコラエヴナ女皇、ルイス・マウントバッテン伯爵が婚姻

1930年代

1935年
 軍縮条約延長、日本海軍35000トン級磐城型戦艦六隻他の建造計画を開始
 伏見宮失脚

1937年
 九月、磐城型磐城、岩代、播磨起工

1939年
 ドイツ軍ポーランド侵攻、第二次欧州大戦勃発
 大戦勃発により軍縮条約失効

1940年代

1940年
 6月、イタロ・バルボ空軍元帥暗殺未遂事件、以後行方をくらます
 11月、磐城、岩代、播磨就役
 10月、常陸型、常陸、駿河、起工
 大神工廠建造
 タラント空襲が迎撃により失敗

1941年
 大和、武蔵起工
 二月、ユダヤ人輸送作戦、シオニストが妨害する可能性を考慮してマダガスカル島に輸送
 輸送護衛に第二艦隊(空母艦隊)
 日本国枢軸に宣戦布告
 ビスマルク残存但し43年までフランスで修理
 マタパン沖海戦、正規指揮官不在の中、ウンベルト・マリーア中将(皇太子)が率いるイタリア艦隊支隊が航空援護のもの活躍、レナウン沈没
 国際連盟軍仏領インドシナ進攻、解放後は自由フランス軍に参加

1942年
 アフリカ戦線に日本陸軍投入
 マルタ島沖海戦、独伊空挺部隊が同島に進行するも補給が続かず敗退、マルタ島は国際連盟軍が防衛に成功。
 同海戦で霧島、榛名沈没、鳥海中破他。地中海制海権国際連盟軍が奪取
 プロエスティ油田地帯に英ランカスター、モスキート、日本海軍一式陸上攻撃機、日本陸軍一式重爆撃機混成の爆撃隊が侵攻、航路を誤った一式陸攻隊に大きな損害。
 マルタ島沖海戦、プロエスティ油田爆撃作戦の戦訓から日本海軍内の雷撃の実用性を問う声が上がる。
 エル・アラメインでドイツ軍が攻勢、国際連盟軍は前線部隊で足止めする間に用意した陸海軍による砲撃戦で対応。撤退する枢軸軍にライトフット作戦発動。温存されていた英第10軍団(機甲化)等によって枢軸軍前線は崩壊
 統合参謀部設立
 夏、常陸、駿河、就役
 シリア、ベイルートが自由フランスを含む国際連盟軍によって解放される。

1943年
 川南工業香焼島造船所製造の戦時標準規格船が相次いで破損する。原因は川南社長が陸軍関係者から入手した溶接性の悪い鋼材を利用したことによるもの。三式戦車の実用化に伴い余剰材となっていたもののの払い下げ。後に発覚する。
 大神工廠で紀伊、尾張起工
 大西洋でマッケンゼン追撃戦。マッケンゼン、ロイヤルソブリン沈没
 シチリア上陸作戦、戦艦群による艦砲射撃が行われる。英第77特殊旅団、日機動連隊、満特務遊撃隊などの特殊戦部隊が投入される。三式中戦車とパンター戦車が初交戦する。第一航空艦隊旗艦鳥海中破
 ヴィシー・フランス艦隊がシチリア島を目指して出撃、日英艦隊が迎撃する。目的は北アフリカ戦線からの撤退を欺瞞することだった。プリンス・オブ・ウェールズ沈没
 サルディーニャ島陥落
 現地陸海軍を管理、統率するため遣欧統合総軍設立、総司令官岡本陸軍大将、副司令官は大賀海軍大将
 ローマとカラブリアの二箇所にイタリア本土上陸、以後イタリア戦線構築。
 イタリア王国が国際連盟と単独講和。国王暗殺、ウンベルト二世摂政に就任、後に即位。
 コルシカ島陥落

1944年
 国際連盟軍ニース上陸、同時にコルシカ島沖海戦勃発、自由フランス軍の戦力損耗、ヴィシー・フランス海軍壊滅
 トゥーロン軍港日本海軍による艦砲射撃を受ける。ニース橋頭堡維持は自由フランス軍に任せ日本軍は東進
 ヒトラー暗殺事件、東プロイセン総統大本営の総統専用壕が国防軍クーデター派により爆破、ヒトラー総統を含む死傷者多数
 ベルリンでクーデター派と親衛隊の内戦が起こるもゲーリング国家元帥率いるヘルマン・ゲーリング装甲師団が双方を鎮圧
 ゲーリング国家元帥が総統代行に就任。ヒムラー親衛隊長官、ゲッベルス宣伝大臣、エッカート党顧問、ファリナッチ北イタリア共和国首相ら行方不明
 ソ連軍の大規模攻勢(トハチェフスキー作戦)開始、バルト海沿いの攻勢と誤認していたドイツ上層部が機甲部隊を北方軍集団に集約させていたこと、それまでのソ連軍と比べて大胆な機動戦となったこと、ドイツ上層部がクーデターで無力化されていたことなどから北方軍集団全軍の包囲に成功した。
 ゲーリング総統代行が国際連盟に対して講和を打診。国際連盟軍は人道的支援としてソ連軍包囲下にある東プロイセンに取り残された民間人の救出作戦を実施、これに伴いソ連海軍バルト海艦隊とバルト海海戦が発生、ドイツ海軍バルト海艦隊、ソ連海軍バルト海艦隊共に大損害、僚艦武蔵がゴーテンハーフェン沖の雷撃で脱落する中で戦艦大和がガングート級戦艦2隻を撃沈、磐城、播磨がクロンシュタット級重巡洋艦2隻を撃破する。

1945年
 国際連盟軍との講和によって西欧、バルカン半島などの占領地帯から撤退したドイツ軍が本国へ帰還するも、将兵の大半は外国人労働者に変わって労働隊に転属する。
 ソ連軍がオーデル・ナイセ線陣地に対する攻勢を開始、バルト海沿いに進出したソ連軍はキール運河に達する。一部はチェコに侵入するも撃退される。ベルリン陥落。
 国際連盟軍がデンマーク国内に展開、ソ連軍と停戦、ドイツ南西部には正式講和後にフランスから部隊が進出、ゲーリング総統代行自決
 第二次欧州大戦終結、ドイツ南西部にドイツ連邦成立、初代大統領には大統領代理からアデナウアーが就任する。
   北ドイツ(ドイツ民主共和国)残留ドイツ人500万+ソ連系移民を受け入れ、国境線はフレンスブルク、チェコ西端を繋ぐ線、ハンブルクは分断、ベルリンは北ドイツ領となる
 南ドイツ(ドイツ連邦共和国)人口6500万、首都フランクフルト・アム・マイン
 中立国アメリカの仲介で両ドイツ成立と共に国際連盟軍、ドイツ、ソ連等による講和条約成立、エレノア・ルーズベルト元大統領が尽力。  国際連盟軍ドイツ駐留軍設立、一部はフランス、ベルギーに駐留、大半の部隊は本国に帰還した。過剰人口となった亡命ドイツ人が本土、満州、ロシアに流入、一分は白豪主義に共感してオーストラリアへ
 中国国内で内戦、ソ連の支援を受けた中国共産党が北京を奪取、最終的に日満の介入で攻勢は停止、中国は北中国(中華人民共和国)、南中国(中華民国)、満州共和国に三分割される形になる。上海租界は諸外国からの玄関口として残される。

1946年
 兵部省設立、大本営解体、日本空軍設立
 賠償艦として引き渡された旧ドイツ海軍プリンツ・オイゲンが日本海軍の重巡洋艦八雲として再就役

1947年
 オランダ領東インド諸島の各地で独立運動が盛んになる。ジャワ島バタヴィアに停泊中のオランダ海軍戦艦デ・ロイテル(旧クイーン・エリザベス)爆破テロで中破、修理のためシンガポールに回航。
 現地ダヤク人保護を目的としてサラワク王国がボルネオ島のオランダ領東インド諸島領域に進攻、日英の介入で早期に停戦が図られるもダヤク人居住地の多くが統治の実績なしとしてサラワク王国に編入。同時に独立運動が盛んだったアチェ王国が再独立。以後はオランダ総督府の統治はジャワ島に集中。現地に移住したドイツ人の多くはイリアンジャアに再移住

1948年
 英領バミューダ諸島周辺海域で哨戒演習中の英日艦隊と米艦隊が遭遇、英日艦隊は空母ヒューバード、戦艦信濃他、米艦隊は戦艦カンザス、軽巡洋艦バッファロー、タラハシー。

1949年
 コンテナ輸送の実用試験が行われる。戦時標準規格船がコンテナ船に改造された他、名古屋港(飛島村)広島港(宇品)にコンテナヤードが建設される。大連等も追ってコンテナ化が行われる。
 重巡洋艦八雲にコンテナ搭載工事が行われる。
 ハワイ王国に潜水艦の目撃事件が相次ぐ。不明潜水艦を追尾した哨戒艦隊がミッドウェーを根拠地とする米国重巡洋艦群と遭遇。
 頻発する先住民の独立運動に対処するためとして米マッカーサー政権は黒人連隊(第24歩兵連隊)を含む師団をフィリピンに輸送することを公表する。

1950年
 米国が日本帝国及びハワイ王国に対して宣戦布告、開戦と同時にトラック諸島に核攻撃(水中爆発、空中爆発)大演習の仮想敵艦隊として集結していた日本海軍の旧式戦艦群及び護衛艦艇が壊滅。大演習の取材に参加していた外国報道社も巻き添えで放射線被曝。ハワイ諸島に米陸軍、トラック諸島に海兵隊が上陸し占領するが、海兵隊員も放射線被曝。
 グアム島沖海戦、開戦初頭の混乱で陸奥、尾張とアイオワ級戦艦ケンタッキー、アラスカ級大型巡洋艦プエルトリコをそれぞれ主力とする艦隊が遭遇戦となる。駆逐艦群の雷撃でエセックス級空母タイコンデロガ(改ワスプ級)を撃沈、砲撃戦でプエルトリコ撃沈、他戦艦いずれも中破から大破判定の大損害を受ける。

 この物語は全てフィクションです。あらゆる国家、団体、個人とは関係がありません。
 設定、年表と本編が矛盾している場合があります。


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