第六話:満州戦車戦






    1945年 8月13日 チチハル郊外

 不破大尉は不機嫌そのものといった顔で旅団司令部作戦参謀の説明を聞いていた。本来なら教導戦車旅団は二日前にハルビンに到着し、戦車第三師団と合流して機動防御戦闘を行うはずだったのだ。それがどうしてチチハル付近にまでこんな長距離を進出しているのか、不破大尉にはよく理解できなかった。
 作戦参謀の説明は一応筋が通っていた。ソ連軍がチチハルに設けた補給所を叩くことでこの方面に投入されている部隊の行動を遅滞させようというのだ。
 しかし不破大尉にはその作戦は奇妙に思えていた。わざわざ最精鋭の一個戦車旅団を危険を冒してまで戦線後方に送り込む労力に見合う目標とはとても思えなかったからだ。教導戦車旅団を鉄道網と道路網を駆使して密かに戦線後方に送り込むのにどれだけの燃料と戦力が遊兵化するのか参謀たちは理解しているのだろうか。
 それに補給所くらいなら航空部隊による爆撃で破壊すれば良いようなものだった。陸軍の重爆が能力不足や数が足りないというのならば海軍の陸攻部隊にでも協力を仰げばいいのだ。
 海軍は奉天で戦車開発を陸軍と共同で行う開発部隊の他にいくつかの小規模部隊が満州に駐屯していた。それらの多くは増派された陸戦隊だったが、なかには航空機部隊もいた。
 もちろん不破大尉はこれらの航空部隊が作戦に参加出来ないことは聞いていた。ほとんどの航空隊は本土決戦部隊として、あるいはアメリカの重爆に対する防空隊として本土に引き抜かれていた。
 残留していた戦闘機部隊はかろうじて満州の制空権をソ連軍から守りきっていた。とてもではないが爆撃機の護衛をしている暇は無かった。そして爆撃機が護衛機無しで出撃できるほど満州上空は安全な空ではなかった。
 不破大尉が不満に感じているのは、こういった現実というよりも辻大佐が教導戦車旅団に同行しているということだった。辻大佐が優秀な軍人だということは理解しているつもりだった。大佐がいなければ関東軍の機械化は遅々として進まずに今頃は破孔爆雷を抱えてソ連戦車と対峙しなければならなかっただろう。
 だが不破大尉個人にとっては、ノモンハンとマレー戦での体験からして辻大佐は面倒な作戦を戦車部隊に持ってくる厄介な人物だった。
 さらに面倒なことにノモンハン事変から不破大尉は辻大佐に顔と名前を記憶されていた。そのせいで辻大佐が立案して戦車部隊に回ってくる作戦の多くは不破大尉が実行することになった。それは辻大佐が不破大尉の才気を買っているということなのだが、不破大尉にしてみれば過大評価されてこき使われているように感じていた。

 作戦開始前最後に行われた作戦参謀の説明が終わると各中隊長は三々五々といった様子で散開した。これから自分の中隊に帰って段列と搭乗員によって整備が行われている戦車の様子を確認しなければならない。
 教導戦車旅団はここまで出来る限り鉄道輸送できたのだが、それでもかなりの長距離を自走しなくてはならなかった。戦車の駆動部には予想以上の荷重がかかり故障が頻発する。だから出撃前には念入りに整備しなおす必要があった。
 しかし旅団司令部から離れて中隊に向かおうとした不破大尉を呼び止める声があった。その声を聞いた同僚の中隊長たちは何かを察したのか苦笑いをしながら離れて行った。
 不破大尉も彼らと一緒に逃げ出したかったが呼び止められている以上は無視するわけにもいかなかった。覚悟を決めると不破大尉は声の持ち主である辻大佐に向き直った。
「久しぶりだな不破中尉。いやすまん、今は大尉だったな」
 満面の笑みを浮かべた辻大佐を見ると不破大尉はため息をついてからいった。
「今回もまた大佐殿の作戦ですか、つくづくご縁があるようで」
 不破大尉は嫌味のつもりでいったつもりで傲岸不遜な表情で言ったのだが、辻大佐は機嫌の良さそうな顔を崩すことなく答えた。
「何、貴公の腕がよいから精鋭部隊にいつも配属されるだけの話だろう。この作戦でも腕のいい戦車兵がぜひとも必要だからな。ノモンハン、マレーと見せてもらった貴公の腕を今回も見せてもらうことになるぞ」
「そう過剰評価をされても困るのですがね」
「過剰評価などであるものか、戦車を操る腕がよくなければ教導旅団に配属されることなど無いのだからな」
 そういってから辻大佐は不破大尉に近づいていった。
「貴公にだけは小官の考えを今のうちに言っておこう。教導戦車旅団の役割は敵補給所を叩くだけではない。補給所を叩かれて浮き足立っているソ連軍を背後から突くのだ。これによって第四方面軍とともにソ連軍を包囲し満州からたたき出す」
 不破大尉は流石にあきれた。そこまで弾薬が持つとは思えない。それよりもわずかに一個戦車旅団でソ連軍を包囲することなぞ出来るものか。
 だがそういっても辻大佐が納得するとは思えなかった。不破大尉は気まずい顔で一礼するとまだ得意満面な顔をしている辻大佐を置いて自分の中隊に向かった。辻大佐の幻想よりも今は自分の中隊のほうが重要だった。


    1945年 8月14日 チチハル郊外

 白ロシアの寒村から青年らしい冒険心で志願したそのソ連兵は疎外感を感じていた。
 親戚が党員だった為に彼は今まで徴兵を逃れてきたのだが、ドイツとの戦争が終わる直前に志願していた。彼が配属されたのは西部戦線でドイツ軍と戦い抜いた部隊だった。もっとも部隊の構成員は開戦当初から戦死や補充によって目まぐるしく代わっていったから所属する兵隊が歴戦の勇者だとはいえなかった。
 だが名前だけでも開戦当初から継続している部隊は極少数だった。大半の部隊は新設されては壊滅し軍歴から抹消されている。この部隊が存続していたのは壊滅した部隊の生き残りを寄せ集められたからだ。
 部隊長だけは昔から代わらない。この部隊長が党の重要なポストにコネが無ければこの部隊も壊滅していただろう。
 もっともそんな事情は彼には無関係だった。彼は青年らしい潔癖な所を持っていたから事情を知れば幻滅していたかもしれない。今でさえ部隊に幻滅する部分を発見している。
 それは彼の同僚や上司のほとんどがやる気が無いことだった。ザバイカル方面軍の側面防御を命じられた部隊はおざなりな塹壕を掘った後はそこにこもるだけでろくな警戒もしていなかった。日本軍が逆侵攻してくるとは誰も考えていなかったのだ。
 確かに大半が中央アジアの片田舎から徴兵されていたロシア語もわからない古参兵たちの意見にも頷く所があった。
 現在前線では第六親衛戦車軍を先鋒とする機械化された大兵力が進行中だった。貧弱な装備しか持たない日本軍は国境線からずっと後退を続けていた。隊司令部で古参の下士官が仕入れてきた情報ではハルビンの郊外でようやく防衛線にあたった所らしい。
 前線でそんな具合だから日本軍に逆侵攻をする部隊などないと古参兵は判断していた。彼はその判断に異を唱えるつもりは無かったが、それでも青年らしい潔癖さあるいは愚かさで一人で警戒を続けた。古参兵たちはそれを見ても何も言わなかったが、内心では臆病者と笑っていたのかもしれない。
 彼は今日も二人用の壕に入って監視を続けていた。相棒のウズベク人伍長はウォトカを呑んで盛大ないびきをしながらまだ眠っていた。
 今のような早朝が一番警戒しなくてはならないのだ。苛立たしくそう考えながら彼は相棒をにらみつけた。そのときふとキャタピラ音のようなものが聞こえた。
 彼は不審そうな目をその方向に向けた。音は次第に近づいてくる。相棒を起こそうか、そう考えた所で彼の思考は止まった。どこからとも無く発砲された銃弾が彼の頭を粉砕した。
 発射音は減音器で抑えられていたからウズベク人伍長の耳には入らなかった。しかし白ロシア人新兵の上げた血飛沫を浴びたことで一瞬で伍長は覚醒した。伍長にもたれかかってきた死体を跳ね除けると傍らに置いてあった自動小銃を手に取ろうとした。
 だがウズベク人の伍長も白ロシア人と同じ運命をたどった。今度は姿を堂々と現した男たちが発射した小銃弾はウズベク人の体のあちらこちらに着弾した。
 男たちは昨日のうちにチチハル郊外に投入されて潜んでいた機動旅団第三連隊の将兵だった。元々第三連隊は旅団の予備兵力として後方に置かれていたのだが、戦車教導旅団の進撃を支援する為に移動が可能だった第一、第二連隊の一部とともに作戦に参加していた。
 第一、第二連隊の主力は今まで同様に撹乱作戦を実行中だ。第三連隊の一個分隊が一息ついていると先ほどから聞こえていた騒音の発生源が傍らに停止した。
 それは教導戦車旅団の捜索隊に所属する九五式軽戦車だった。ノモンハン事件でその脆弱性を露見させた九五式軽戦車は今では大半が機甲部隊の捜索隊に配備されていた。弱装甲の軽戦車はとてもではないが現代の戦車戦には対応出来ない。
 九五式軽戦車のハッチから戦車兵が顔を出した。いざとなれば九五式軽戦車の火力で監視壕を破壊するつもりだったが、その必要は無かったようだ。
 戦車兵に合図された第三連隊の兵たちは素早く九五式軽戦車の車体にしがみつくようにして乗った。これから昨日のうちに発見していた次の監視壕に向かわなくてはならない。
 こうしてザバイカル方面軍の側面警戒部隊は徐々に能力を低下させていった。

 教導戦車旅団の先鋒を務める装甲捜索隊が、接近する敵戦車部隊と初めて接触したのはその日の十時近くになってからだった。教導戦車旅団と掩護する機動旅団の一部は早朝から進撃を開始していたからこれはずいぶんと遅い迎撃になる。
 もちろん迎撃をここまで遅らせることが出来たのは機動旅団と装甲捜索隊があらかじめ大半の監視壕を制圧していたからだ。だが機動旅団の精鋭たちにも見つからないほど隠蔽された監視壕が生き残っていたらしい。監視壕からの通報を受けてソ連軍は迎撃部隊を差し向けたのだろう。
 装甲捜索隊の報告によれば向かってくるソ連軍部隊はスターリン重戦車一個中隊を中核とした機甲部隊のようだった。
 重戦車一個中隊というのはいかにも中途半端な戦力だった。おそらく前線に送る途中の戦力を急遽転用したのだろう。しかし重装甲で大火力のスターリン戦車一個中隊は無視出来ない戦力になる。補助車両なども加えれば一個大隊程度の戦力と考えてもよかったかもしれない。
 敵部隊の正確な情報はほとんど伝わってこなかった。分かったのはソ連軍がスターリン戦車を正面にしてドイツ軍が得意とするパンツァーカイルと呼ばれる陣形に近いものをとっているということだった。
 おそらくドイツ軍との戦闘経験があるものが指揮官かそれに近い位置にいるのだろう。だがそれ以上のことは分からなかった。装甲捜索隊がそれっきり連絡を絶ったからだ。
 おそらく九五式軽戦車は必死で逃げ出そうとしているのだろう。九五式軽戦車の速度は実はスターリン重戦車と比べてもそれほど差は無い。九五式軽戦車の開発時期からすれば決して遅くは無いのだが、ソ連軍の戦車は概して高速を出せる設計をしていた。
 全体で一個大隊程度と思われる戦力とはいえスターリン戦車は強力な122ミリ砲を備えている。戦い方しだいでは一個旅団を遅滞させることも不可能ではない。
 それに気がついたとき不破大尉は連隊長が乗車している指揮官型の一式半装軌装甲兵車に通信を入れていた。
「アオよりムラサキへ、意見具申。アオに後一個中隊ほどつけてもらえれば相手を足止めして見せます。ムラサキはその間に迂回して進撃してはどうでしょう」
「ムラサキよりアオへ、作戦があるんだな」
「あります、相手がドイツ軍の物まねをしているのならば勝機はあります」
「分かった。ムラサキよりミドリへ聞いていたな、貴様らはアオの指揮に従え」
 これで不破大尉の手元には自分の第一中隊の他に第二中隊が揃った。不破大尉は手早く第二中隊長と作戦を打ち合わせると作戦を行うのに調子の良い土地を見つけて相手を待ち構える姿勢をとった。
 後続する旅団主力は彼らを次々と追い抜かしながら迂回機動を取り始めていた。


    1945年 8月14日 チチハル郊外

 不破大尉は小隊に一両の割合で試験的に配備されていた排土板で簡素なものだが戦車壕を掘らせた。この排土板は五式中戦車の前面に装備されて、一往復の作業で五式用の戦車壕を掘ることが出来るものだった。
 だがこの排土板の評価は散々なものだった。前面にいくら出来る限り軽く作ってあるとはいえ鉄の塊である廃土板をつけるものだから操縦特性が悪化したのだ。それに進軍速度も低下する。他の車両よりも機関出力を高くせざるを得ないから廃土板装備車の燃料使用量は他の車両よりも多かった。それに廃土板なら旅団工作隊の九七式力作車も同じ物を備えている。
 一応、廃土板は特にタ弾に対しての追加装甲にもなるという話だったが、誰も信用しようとはしなかった。防弾鋼板でもないただの鉄板が装甲の代わりになるとは思えなかったからだ。だがその評判の悪い廃土板が今回は大活躍した。
 廃土板が無ければ不破大尉の考えた作戦は実行できなかったかもしれない。一応の作業を終えた後は大尉は中隊をソ連軍が向かってくるであろう方向に向けた。
 中隊は四両編成の小隊が三個に中隊長車と副官車の二両を合わせた14両編成ととっている。それはノモンハンを始めとする機甲戦と盟邦ドイツの戦訓から導き出された編成だった。連隊はこの戦車五個中隊と連隊本部で編成されている。
 戦力の最小単位として扱われるのが小隊だが、さらに細かく分けると中隊の戦車は二両で一個分隊をとっている。この場合、中隊長車は副官車とコンビとなる。

 しばらくすると彼方から戦車の履帯が巻き上げる土煙が見えた。さらに監視を続けると土煙を上げているのは装甲捜索隊の九五式軽戦車であることが見て取れた。
 九五式軽戦車は必死で蛇行しながら逃げ出そうとしている。直線をとって逃げないのは後ろに敵が迫っているからだろう。それを証明するかのように時折後方から戦車砲の発砲を示す閃光が見える。
 やがて九五式軽戦車の後ろに疾走するT−34が見えるようになった。どうやらスターリン重戦車の楔陣から抜け出して捜索隊を追跡しに来たらしい。
 不破大尉は苦々しい思いでそれを眺めた。大尉はソ連軍は楔陣を保ったまま来ると考えていたからだ。
 だがすぐにT−34のすぐ後ろにスターリン戦車の重戦車とは思えないほどのスマートな前面が見えた。不破大尉は愁眉を開いた。このくらいならスターリン戦車を直接攻撃できる。
 不破大尉は装甲捜索隊の九五式軽戦車に通信をつないだ。五式の強力な無線機は扱いが容易な割には高性能だった。専門の通信員ではない大尉でもすぐに周波数を捜索隊が使用するものに合わせられた。
「捜索隊のハ号へ、こちらは二四連隊第一中隊長だ。現在そちらの正面に布陣している。こちらの合図があり次第貴隊は退避せよ。合図の後にスターリン戦車を攻撃する」
 無線機からはしばらく雑音が流れた。その後、雑音越しに相変わらず性能の良くない日本製無線機から出る声が聞こえた。九五式軽戦車は捜索隊に配備されるときに無線機も改良されているはずだが、それでも五式ほどではないのだ。
「二四連隊だって、本隊はどうしたんだ。それよりスターリンよりもT−34を叩いてくれ。こっちの方がよほど物騒だ」
 雑音越しとはいえ、捜索隊隊員があせっている様子は良く分かった。だが不破大尉はあえて無感情な声で言った。
「繰り返す。合図の後にこちらはスターリン戦車を攻撃する。巻き込まれたくなかったら言われたとおりに退避しろ」
 無線機からは雑音越しに戸惑った様子で捜索隊からの通信が入ったが、不破大尉はその声を無視して戦車長席に設けられた潜望鏡でスターリン重戦車との間合いを計り続けた。
 しばらくしてから不破大尉は中隊に割り当てられた無線で攻撃準備を告げた。これで作戦前の打ち合わせどおりに中隊所属の戦車は中隊長車の発砲を合図に攻撃を開始する。
 不破大尉は中隊各車からの受信確認を途中で切ると再び捜索隊との通信に無線機を合わせた。スターリン重戦車が不破大尉の考えた間合いに入った瞬間に、捜索隊に向けた無線機に怒鳴った。
「退避、退避」
 しばらく戸惑っていたようだが、捜索隊の九五式軽戦車は蛇行の勢いをそのままに右側に素早く転進した。T−34もそれを追いかけるようにして転進した。
 中隊からみれば、その時T−34は側面を見せていたから攻撃の絶好の機会だった。しかしあらかじめ厳命していた砲手たちはT−34を攻撃しなかった。
 十四両の五式から放たれた高初速88ミリ砲弾はすべて後方のスターリン重戦車に向かった。どうやら運が良くソ連軍に対しては初撃は不意打ちになったようだ。ソ連軍は突然の攻撃に右往左往していた。
 五式戦車は相当な遠距離から射撃した。この距離では徹甲弾よりも新型のタ弾を使用したほうが効果があった。徹甲弾は運動エネルギーで装甲を破砕するが、距離があると運動エネルギーとなる肝心の弾速が低下する。
 それに対してタ弾は弾頭に詰まれた炸薬を爆破させることで発生する火炎流の運動エネルギーで敵装甲を破砕する。だから弾速の低下は理論上威力に変化を及ぼさないはずだ。
 不破大尉の読みどおり中隊が全力で狙ったスターリン戦車は動きを止めていた。砲塔や車体は欠損していないようだし、戦車兵が脱出する気配も無いから履帯でも吹き飛ばしたのかも知れない。
 だがソ連軍はその先頭車両を放っておくと再び前進を始めた。さっきまで九五式軽戦車を追いかけていたT−34は慌ててスターリン重戦車の背後に隠れようとしていた。
 ――よし、それでいい。貴様らの敵はこの五式中戦車だ
 不破大尉は接近するソ連軍戦車を見て不敵な笑みを浮かべていた。



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