第五話:満州戦車戦






    1945年 8月12日 羅子溝

 遠くから聞こえてくる大地を揺るがす戦車の騒音に御剣軍曹は目を開いた。器用に立ち木の上に上って前方を監視していた兵が報告した。
「T−34が二両、蛇行しながら突っ込んできます」
「ただの威力偵察だな。だが丘の対戦車砲陣地までいかれると厄介だな・・・」
 御剣軍曹は目線を伍長に向けた。伍長は首をすくめるといった。
「四式はあと三本、それと計算が正しければ隣の対戦車班が持っているロタ砲は残り二、三発ってとこですね」
「T−34二両相手には苦しいか・・・」
 伍長は首をすくめて言った。
「ぎりぎりですね。まぁ、確かにこっちで抑えなければ露介の戦車は対戦車砲までいっちまうでしょうね」
 御剣軍曹は眉をしかめた。後方の丘に布陣している対戦車砲部隊はこの辺りの対戦車砲をかき集めた有力な陣地だった。そこには大口径の速射砲や師団から送られてきた百式砲戦車などが陣取っていた。
 速射砲や百式砲戦車が装備する長57ミリ砲ではT−34を正面から撃破するのは難しかった。だから対戦車砲陣地は敵戦車隊を側面から攻撃できる位置に布陣するのが望ましかった。あとは敵戦車が射界に入るのを待てばいいだけだ。
 だが対戦車砲には大きな欠点があった。牽引式の速射砲は移動が困難だった。敵戦車隊の進撃路にあわせて柔軟に再配備することは出来ないのだ。砲戦車部隊なら陣地転換も楽だったが、師団に配備されている百式砲戦車の長57ミリ砲ではT−34を撃破するのは相当に難しかった。
 また陣地転換が難しいということは、敵の攻撃に脆弱であるということも意味している。基本的に防循以外はむき出しである対戦車砲は榴弾の一斉射で無力化される危険があった。ただ穴を掘っただけとはいえ壕の中に入っている歩兵部隊の方がよほど生存率は高かった。
 対戦車砲陣地の高い攻撃力を生かすにはどうすれば良いのか。それは徹底して自位置を隠蔽することに他ならなかった。攻撃するぎりぎりまで敵に位置を知られないように布陣するのだ。
 もちろん御剣軍曹たちもそのことは理解していた。ここで敵戦車隊を食い止める為にも対戦車砲の位置は秘匿しなければならない。
「それはまずいぞ。少なくとも敵の本隊が来るまでは対戦車砲陣地は秘匿しておかなければならん・・・よし、やろう。伍長、隣の対戦車班を呼んで来い。手早くな」
 それを聞くと伍長は、復唱も無しに壕から出て、腰を落としながら対戦車班が陣取っている隣の壕に向かった。御剣軍曹は自分の壕内に振り返ると生き残っている兵隊たちを見た。
 中隊に所属する兵たちの数は当初の八割近くにまで減っていた。これは戦死者や後送しなければならない重傷者のみの数だ。だから軽症と判断されたものは前線にとどまっていた。その中には平時であれば即座に病院に担ぎかまれていたようなものもいた。それでも衛生兵が軽症と判断した以上は前線で引き金を引かなければならない。
 いま御剣軍曹が見渡した中にもそんな兵がいた。あるものは四肢に血をにじませた包帯を巻いていた。また別のものは榴弾の破片で片目を失明していた。だが破片を取り除いて化膿の心配を取り払った後はそのままにされた。もう片方の目は無事だから照準は出来る。それにまだ五体満足なのだから。
 御剣軍曹は唐突に笑い出しそうになった。マレー戦線では攻め続けていた。ノモンハンでは負けているような気がしなかった。そうか、負け戦とはこんな気分なのか。
 ここで全てを捨て去れればどんなに気楽になるだろう。降伏するか、それとも銃口を自分に向けて引き金を引きさえすればいい。負け戦の戦場ではそれほど珍しくは無い。
 だが御剣軍曹にはそんなことは出来なかった。ノモンハンの頃とは違って指揮すべき兵隊が大勢いた。小隊先任下士官である軍曹には二個分隊が預けられている。残りの分隊は新米の少尉が指揮している。
 御剣軍曹にはこの兵隊たちを効率よく殺す義務があった。一人十殺とは言わないが、可能な限り損耗率を相手側に傾けなければならない。作戦遂行の為には損害をためらってはならないが、無駄死にだけはさせてはならない。
 御剣軍曹は頭を振ると気を取り直していった。
「斉藤と鈴木は無反動砲を持っていけ」
 そういうと御剣軍曹は四式簡易無反動砲を二人の兵隊に渡した。残りの一本は自分で持った。
「ロタ砲と一緒に側面に回り込むぞ。他の者は掩護しろ。援護班は佐藤が指揮しろ」
 臨時指揮を命じられた上等兵が緊張した顔で頷いた。それと同時に壕の中に連絡に出ていた伍長が転がり込んだ。伍長の後ろにはロタ砲を抱えた砲手と装填手がいた。
 ロタ砲班の他の班員は戦死していた。どうせならばこちらの分隊と合流させておけば連絡の手間が省けてよかったのだが、中隊長の命令ならば仕方が無かった。中隊長はロタ砲を対戦車任務につけさせたかったのだ。分隊に配属しては勝手に使われると思っていたのだろう。
 御剣軍曹はロタ砲の砲手と簡単な打ち合わせをするとすぐに壕を出て持ち場所に着いた。T−34はすぐそこにまで迫っていた。


    1945年 8月12日 羅子溝

 御剣軍曹たちは隠匿された対戦車障害の近くに陣取った。そこは僅かに地面が傾斜しており、数人の小規模な部隊ならば十分に姿を隠すことが出来た。
 あらかじめ設営されていた対戦車障害はひどく簡素なものだった。基本的には、師団や方面軍に所属する工兵が掘削した、戦車サイズの落とし穴に過ぎない。しかし穴の上は粗雑ながらも偽装されており、対戦車障害は操縦席の狭い監視窓からは発見されにくいはずだった。
 そこは周囲の木々の間が狭まり、また開ける場所だった。軍曹たちはその森の出入り口とも言うべき場所を見張っていたのだ。もちろん、そんなあからさま過ぎる場所をソ連兵が避ける可能性はあった。だがそれでも周囲の立ち木に行動を阻害されることになるだろうからT−34の機動は阻害されるだろう。

 御剣軍曹たちが装備している四式簡易無反動砲は、同盟国ドイツからの技術提供によって完成した対戦車火器だった。構造は極めて簡素であり、貴重な特殊金属などはほとんど使用されておらず、それどころか構造体は強化紙や竹で出来ていた。
 四式簡易無反動砲の弾頭は対戦車用のタ弾が主に使用されていた。無反動砲はこのタ弾の弾頭を通常の砲と同じようにガス圧で発射する兵器だ。しかし通常の砲とは違って無反動砲は発射と同時に後方に高速でガスを噴出すことによって反動を相殺できる。これによって歩兵でも大口径の砲を使用することが可能となったのだ。
 しかし無反動砲には大きな欠点が存在した。後方に噴出した高温ガスはたいへんに危険物で、もしも砲の直後に立っていたのならば大火傷で即死間違い無しだった。狭い室内などから撃てば砲手が大火傷を負うことにもなる。それにくわえて高速で噴出するガスは周囲の土壌を吹き上げて敵にすればずいぶん大きな目印になった。
 だから簡易無反動砲の使用法としては、発射直前まで位置を悟られないように徹底的に周囲の地形を駆使して隠匿し発射した後は一目散に後退すると考えられていた。その間は無反動砲の近くに布陣する兵員は砲手を支援することになる。
 だがそれでも問題はまだ残っていた。無反動砲は、発射するときに発生する全てのエネルギーが弾頭に向かうわけではない。理論上は弾頭を押し出すエネルギーと後方から噴出するガスのエネルギーは等価だった。これは砲弾のサイズや使用する火薬量に対して弾頭の発射速度が恐ろしく遅いということになる。
 弾頭が低速ということは射程距離が短いということでもあった。四式簡易無反動砲の射程距離は一応は最大で150メートルという話だったが、誰もそんな距離で命中弾を得られるとは考えていなかった。初速が遅い簡易無反動砲を確実に命中させるのならば出来うる限り敵戦車に接近する必要があった。仕様手引きによれば、必要となれば戦車に対して弾頭を押し付けて使用することも想定されていた。
 それでは従来の火炎瓶攻撃や破孔爆雷と大して変わらない兵器になってしまうが、訓練未了な兵士が確実に戦車を屠るためにはそんなことまで必要だった。
 御剣軍曹たちが陣取ったのは予想される戦車の進路を挟む地域だった。御剣軍曹と無反動砲手の一人は予想進路の右側に、左側には班長代理に伍長をつけたロタ砲班ともう一人の無反動砲手を配置した。

 T−34が視界に入ったのは配置についてから一分も無い頃だった。ぎりぎりのタイミングで配置が完了したことになる。
 御剣軍曹は幸運に感謝しながら、偽装の為に小枝をさしている鉄帽を被った頭だけを慎重に持ち上げた。思ったよりもずっと近くにT−34はいた。威力偵察だというのに、いつものようにT−34は機関短銃を装備した歩兵を鈴なりに乗せていた。
 ソ連軍の戦車乗車兵は大抵の場合、射程の短い機関短銃を装備していた。機関短銃は日本兵が持つ九九式自動小銃と比べると射程も威力も劣っていた。しかしドラム式の弾倉を採用したソ連軍の機関短銃の火力は非常に高かった。
 彼らにとって戦車随伴歩兵は、あくまでも対戦車兵器を制圧する為の戦力に過ぎない。連射の効く機関短銃は接近戦では無類の強さを発揮する。そして機関短銃の弾が届かない距離ならばためらい無く戦車砲を使用するのが彼らの戦い方だったのだ。
 要するに随伴歩兵は戦車の追加武装に他ならないのだ。この時代においては最も頼りになるセンサである人間の目も追加装備の一つだった。それは狭い監視窓から周囲を観察せざるを得ない戦車兵の目よりもとても頼りになるセンサだった。
 そのセンサに対戦車障害はあっけなく発見されてしまった。先頭を走る戦車の上に座って、周囲に鋭い視線を向けていた歩兵の一人がいきなり金切り声を立てた。監視塔から半身を除かせていた戦車長は車内に何か叫んだ。それで先頭の戦車は急減速すると対戦車障害物を慎重に避けるようにゆっくりと御剣軍曹のほうに向かってきた。
 もう一両は都合がいいことに反対側に向かっていた。御剣軍曹は密かにほくそえむと一気に上半身を起こした。その勢いをそのままに腰に抱えていた四式簡易無反動砲の狙いをつけた。引き金を引く一瞬の間に戦車に随伴している歩兵たちの驚愕した視線が見えた。
 御剣軍曹はためらい無く引き金を引いた。だが放たれたタ弾は、減速して対戦車障害物をやり過ごそうとしていたT−34では無く、乗車していた歩兵に命中した。モンロー効果と呼ばれる火炎流の集中現象によってタ弾が命中した歩兵は腹に大穴が開いた。僅かに遅れて全身が燃える。
 だが目標だったT−34は哀れな歩兵によって砲塔を焦がされるだけの被害ですんでいた。それでも穴を開けてはいたが、その穴が貫通している様子は無かった。御剣軍曹は舌打ちをした。後はもう一人の無反動砲手に任せるしかなかった。


    1945年 8月12日 羅子溝

 あらかじめ攻撃開始の合図は、何か特別な事態が発生しない限りは御剣軍曹の発砲と決まっていた。御剣軍曹の発砲に僅かに遅れて反対側に陣取るロタ砲が発砲した。
 あらかじめ照準をつけられていたのだろう。簡易無反動ほどではないが既存の砲と比べると初速の遅いロタ砲の砲弾は、それでも真っ直ぐにもう一両のT−34に命中した。
 しかし、そのT−34は被弾したのものの致命的な損害ではなかったらしく、ゆっくりと砲塔をロタ砲班に向けようとしていた。
 T−34に乗車していた歩兵たちはそのころには慌てて飛び降りている。戦場での火力は脅威度という問題以上にまず戦車に向かう傾向があった。戦車はその火力に耐えうるかもしれないが、乗車する歩兵は対戦車火器を向けられたらなすすべがない。
 だが、そのT−34から降車した歩兵の大半は助からなかった。ロタ砲班のすぐ近くに伏せていた簡易無反動砲手が弾等をT−34の砲塔と車体の隙間に命中させたからだ。
 そこはどんな戦車であっても弱点となる場所だった。巨大な砲塔を旋回させるための繊細な機構は分厚い装甲を張るわけにはいかないし、そこに命中すれば主砲は間違いなく使用不可能になる。
 もっとも無反動砲弾が命中したT−34は主砲の心配をする余裕は無かった。T−34は命中した衝撃でがくりと停止した。そして砲塔のハッチから砲手と車長が身を乗り出した。ハッチの隙間からは白煙が立ち上っていた。
 しかし彼らが砲塔から半身を抜け出させる前にT−34は爆発した。今度はありとあらゆるハッチが爆発によって発生した内圧によって弾き飛ばされた。損害を受けていた砲塔も脱出しようとしていた戦車兵もろとも吹き飛んだ。
 T−34は爆発によって生じた破片によって周囲の歩兵をなぎ払ってから完全に残骸となった。その残骸と断末魔の叫びを上げるソ連兵の姿の向こうに、御剣軍曹は退避する無反動砲手を見た。もちろん簡易無反動砲は放棄されている。だがロタ砲班はまだ撤収するつもりは無いようだ。無反動砲手と一緒に走っていたロタ砲班は適当なくぼ地を見つけると再び発射体制をとろうとしていた。
 撤収するつもりが無いのは最初に攻撃したT−34も同じだった。僚車が破壊されたというのにT−34は後退するつもりは無い様だった。損害を受けた砲塔をはゆっくりと敵を捜して回っていた。
 御剣軍曹の無反動砲はすでに投棄された。それどころか自位置はおそらく判明しているだろうから素早く撤収しなければならない。
 無反動砲を握っていたもう一人の無反動砲手が勢いよく立ち上がった。砲手は生き残っているT−34に照準をつけようとした。だがそれよりも早く展開していたソ連兵が持つ機関短銃が火を噴いた。
 機関短銃が使用する拳銃弾は砲手の胴体をなぎ払うように着弾した。砲手はそれでもたれ込む様に倒れようとした。そこに止めとばかりに別の兵士が撃った銃弾が命中した。今度は砲手の頭部に集弾した。
 無反動砲手は一瞬で絶命した。御剣軍曹は無意識のうちに伏せながら砲手が手放した無反動砲を引き寄せていた。幸いなことに一瞥した限りでは無反動砲に傷は無い。
 だが御剣軍曹は無反動砲を撃つことは出来ない。くぼ地に身を潜めた軍曹の真上を機関短銃の弾丸がひっきりなしに飛来していた。その弾幕に遮られてどうしても御剣軍曹はくぼ地から出られない。
 このままでは機関短銃に制圧されたまま、身動きが取れないところを戦車砲で叩かれてしまう。それは分かっているのだが御剣軍曹には打つ手が無かった。
 唐突に機関短銃の弾幕が途絶えた。それと同時に戦車の分厚い装甲に小銃弾が命中する耳障りな高音がいくつも鳴り響く。
 御剣軍曹が慌てて顔を上げると、壕の中から分隊員たちによる銃撃がなされている所だった。さすがにこの距離では、火力に優れる機関短銃も自動小銃にはかなわなかった。ついさっきまで勇ましく機関短銃を放っていたソ連兵たちは突然の銃撃に逃げ惑っていた。
 T−34にも小銃弾は命中していたがその分厚い装甲には塗装をはがす程度の効果しか与えられなかった。それでも中の戦車兵たちにはある程度の衝撃を与えたようだ。さっきまでとは砲塔の旋回速度が段違いに遅れていた。
 御剣軍曹はこの機会を逃すつもりは無かった。簡易無反動砲の最後の一本を肩に担ぐと、照準をのろのろと砲塔を回しているT−34に向けた。御剣軍曹はこちらを指向しようとしている砲塔の正面ではなく車体側面を狙っていた。
 戦車を無力化させるのなら砲塔を破壊した方が確実に攻撃力は奪われる。しかし分厚い砲塔正面は簡易無反動砲では貫けない。それよりも比較的装甲の薄い車体側面を打撃するべきだ。
 御剣軍曹は簡易無反動砲の引き金に指をかけた。だがそのまま指の動きは止まる。何故ならばT−34のハッチから慌てて戦車兵たちが逃げ出してきたからだ。御剣軍曹は呆気に取られながらそれをみていた。
 戦車兵は地面に降り立つと周囲の歩兵たちに激しい口調で何かを叫んだ。それを聞くとソ連兵たちは我先にと逃げ出していった。その時になってようやく御剣軍曹はT−34の砲塔後面から煙が立ち上がっているのを見つけた。
 どうやら退避せずに攻撃を続行したロタ砲班の戦火のようだった。ソ連兵たちが去った戦場でようやく御剣軍曹は晴れ晴れしい顔をしているロタ砲班と合流した。御剣軍曹とロタ砲班三人は意気揚々と壕に引き上げていった。

 その日の御剣軍曹たちの戦果は威力偵察を行っていたT−34二両と随伴歩兵多数だった。それに対してこちらの被害は戦死が二名のみだった。明らかに圧勝だった。
 しかし御剣軍曹たちは午後には陣地を放棄して後退していた。隣接戦区がT−34/85完全装備の戦車旅団に突破されたからだ。突破した戦車旅団は後方で待機していた独立重戦車大隊と戦車第五師団によって包囲殲滅された。それでも突破された戦区にはかなりの補充戦力を送り込まなければならなかった。
 関東軍の戦線はゆっくりと、だが確実に後退を続けていた。



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