第一話:満州戦車戦






    1944年 11月23日 奉天

 満州の冬は何年たっても慣れることのない鋭さをもっていた。奉天郊外にある満州三菱の戦車工場の敷地内で新型戦車の試験に立ち会っていた不破大尉は北から吹く風に思わず身震いした。
 不破大尉の目の前には舗装路や悪路、小規模な運河などを組み合わせた試験場が広がっている。ここから少しばかり離れた場所には戦車砲の試射場まであった。それに反対側には戦車や装甲車を開発、生産する満州工廠と満州三菱の工場群が所狭しと並んでいる。
 ここまで広大な敷地を持つ工場は本土でもそうはないだろう。土地が余るほどある満州だからこそ余計な摩擦もなしにここまで巨大な工場が出来たのだ。
 試験場の土は試作戦車によって何度も掘り返され自然と黒くなっている。そして不破中尉の前をその黒土を跳ね上げ、轟音をたてながら巨大な戦車が通り過ぎた。不破大尉の目は新型戦車の足回りに集中した。
 不破中尉の見たところ重量が40トンを軽く超えるというのに新型戦車の機動に乱れはまったくなかった。下手をすれば三式改以上に軽快に動いていた。
 その機動性に満足した不破大尉は満足そうに脇にいた月村技師にうなずいた。月村技師は満州三菱において一式から一貫して戦車開発に携わってきたベテラン技師だった。
「五式戦車は良いですね。少なくとも足回りに関しては想像以上です。資料を受け取ったときは三式改と同じ速度で動くということで不安だったのですが、実際見てみればとても三式より十トン以上重いとは思えませんね」
「そうでしょうね。私も機関屋の方から水冷加給器付ディーゼルを受け取るまではある程度の速度低下は覚悟していましたから。冷却水の補充が必要だという欠点はありますが、機関出力は結果的に上がりました。これによる利点は大きいですね。ですから五式開発の最大の功労者は我が社の機関開発部門ということになるでしょう」
「問題は武装か・・・」
 不破大尉が試験走行路を走り終えてこちらに向かってくる五式戦車を見ながら言った。月村技師は首をかしげた。
「長砲身88ミリでは満足できませんか。あれは四式重戦車向けとして開発されていたものの流用だから三式改に搭載した長75ミリよりも格段に威力が向上しているはずですが」
「いや主砲の威力には満足している。そうではなくて前部に機銃がないのが気になるね。いくら戦車が対戦車兵器だといっても歩兵を支援することもあるし、何よりも対戦車陣地を蹂躙するのには前部機銃は不可欠だと思いますがね」
 苦笑しながら不破大尉が言うと二人の後ろから急に温厚そうな声がした。
「あれは装甲板からつなぎ目をなくす為だよ。三式改では機銃座の為に穴を開けてさらに前部装甲板を継ぎ足している。だから数値には出ない強度がかなり低下している。この教訓から機銃座をなくしたんだ」
 不破大尉が慌てて振り返ると、満州工廠長の原中将が笑みを浮かべながら立っていた。不破大尉は慌てて敬礼したが、月村技師は驚いた様子も見せずに軽く会釈しただけだった。どうやらこんなことは日常茶飯事らしい。
「工廠や三菱の方でも対歩兵火力の低下は理解しているつもりだ。来月頭には第24連隊向けに先行量産車を納入できるはずだが、その車両からは車長用に重機関銃を対空、対歩兵用として搭載することになるだろう。それに主砲には同軸で機銃を追加してある。見た目ほど五式は対歩兵能力にかけているわけではないよ」
「自分が気になるのはもう一点あります。前方機銃が無くなったことで機銃手がいなくなってしまいました。それでこれまで機銃手が行ってきた無線機の操作が装填手の仕事となったと聞きますが、主砲弾の装填を行いながら無線の操作を行うことは出来るのですか」
 原中将は苦笑しながら答えた。すでに何度も同じ質問を受けたようだ。答え方はすらすらとしていた。
「勿論その点も考慮してはあります。実はこの前、辻大佐にも同じ質問をされたよ。君たちは意外と思考が似ているのかもしれないな」
 不破大尉はそれを聞いて首をすくめた。あの変人参謀に似ているといわれても嬉しくともなんともない。何せ相手は関東軍を機械化させるためならば参謀本部どころか海軍にまで話を持ってゆくことで有名だった。その目的と手腕は高く評価するが、狂人一歩手前の行動力には人を辟易させるものがあった。
「五式の主砲には海軍さんから技術をもらった自動装填装置が搭載されている。装填手の仕事は従来よりも軽減されるはずだ。それに新型の四式無線機は操作を極力簡単にしている。戦闘中は車長が操作することになるだろうが、そのことによる負担は極力少なくしてある」
「それを聞いて安心しました。ところで五式の生産台数はどれくらいになりますか」
 原中将がちらりと目線を月村技師にやると、技師は一枚の書類を取り出していった。
「とりあえず来月頭納入の先行量産分になる1個中隊弱の生産はすでに開始されています。おそらく年内には二個中隊分は生産できるでしょう。ですが現在の主力生産ラインは三式の改造ユニットと四式砲戦車に追われていますのでこれ以上の生産ペースの増加は困難です」
 不破大尉は力強くうなずいた。すでに頭の中では今は三式改で編成されている自分の中隊が五式を装備する姿を思い描いていた。


    1945年 6月2日 新京、関東軍司令部

 新京の中心地にそびえ立つ関東軍司令部は奇妙な構造をとっていた。下部は通常の四角形をしたビルなのであるが、上部は日本家屋のような、あるいは天守閣のような構造をしていた。見ようによっては重厚感を与えないこともなかったが、秋元中佐には木に竹を継ぎ足したように感じられた。
 司令部の内部は外見とは裏腹に堅実な構造をしていた。その司令部の長い廊下を秋元中佐は足早に歩いていた。関東軍直属の列車砲連隊を視察していた秋元中佐は今朝になって急に司令部に呼び戻されたのだ。
 独立列車砲連隊は関東軍の中でも比較的重要度の高い部隊だった。保有する列車砲は他の砲兵部隊とは威力も射程も段違いだったからだ。そのような重要部隊の視察を切り上げなければならないほどの緊急事態が発生したのだ。
 司令部から差し向けられた連絡機のなかで大体の事情は聞いていた。ことの始まりは数日前に満ソ国境地帯で数人の白人らしき男たちが発見されたことだった。
 発見は国境監視に当たっていた歩兵部隊によってなされていた。最初に発見されたのは黒竜江の満州側に乗り捨てられた貧弱なボートだった。部隊長は当初はソビエトの特殊部隊が密かに満州に潜入したと考えたらしい。だがその付近で発見された男たちは抵抗する様子もなく、おとなしく投降した。
 こうして保護された男たちは、発見経緯から亡命ロシア人だと考えられていた。最近ではめっきり減っていたが、ソビエト連邦形成時には共産主義から逃れる為に多くのロシア人が中国に亡命していた。今でも満州国の大都市には亡命ロシア人が住む地区があるほどだった。
 男たちがロシア語を喋れないとわかってもさほど不思議がられはしなかったらしい。ソビエト連邦はその広い国土の中に多くの民族が存在する他民族国家だった。なかにはいつの間にかソ連人になった為にロシア語がさっぱり分からない民族もあったからだ。
 だが保護されてからしばらくして落ち着いた男たちは懸命に何かを伝えようとした。そこでようやく男たちがドイツ人であることが分かったのだ。それでもその部隊に士官学校でドイツ語を専攻していた将校がいなければ関東軍司令部にここまで早く話が伝わることは無かっただろう。
 久しぶりに使う錆付いたドイツ語でどうにかその将校が聞き取った限りでは男たちはドイツ国防軍と武装親衛隊の戦車乗りで捕虜になってシベリアに送られる所を同盟国を頼りに脱走してきたというのだ。慌てた現地部隊は右往左往したあとでドイツ国防軍少佐をリーダーとする集団を丁重に関東軍司令部に送ってきた。
 関東軍が重要視しているのは独ソ戦後のソ連軍の動きだった。シベリアを逃走して来た人間から生の情報を聞きたかったのだ。そこで関東軍参謀部兵站班の班長であり、またドイツ語に堪能な秋元中佐が呼び戻されたのだ。

 参謀部が割り当てられた区画についた秋元中佐はまず作戦課を訪れた。最初にドイツ人に会うよりもこれまでに分かっている情報を先に聞いておこうと思ったからだ。作戦課の部屋に入ると目当ての人物は案の定難しい顔をして椅子に座っていた。秋元中佐が机に近づくと瀬島中佐はゆっくりと頭を上げた。瀬島中佐は難しい顔をしたまま前置きなしにいった。
「彼らが保護された経緯については聞いているな」
 秋元中佐が軽くうなずいた。瀬島中佐とは士官学校、陸軍大学校と同期だったなかだから、この程度の仕草でもお互いに理解できた。
「とりあえず今までに彼らから聞き取ったことを伝えておく。保護されたのは5人、うち三人がドイツ国防軍、残りの二人は武装親衛隊所属だそうだ。もっともその二人も武装親衛隊所属だということは隠していたらしい。よくわからんが親衛隊所属の将兵は捕虜にされずにその場で射殺されるらしい」
「彼らはドイツ東部戦線で捕虜になったのだろうが、どうやってシベリアから逃げ出したのだ。その辺りは聞いているのか」
「聞いている。何でも戦車兵の一人が鹵獲したソ連戦車の搭乗経験があったらしい。それで隙を突いて収容所に配備されていた旧式のBT戦車を強奪して逃げてきたらしい」
「まるで冒険小説のようだな」
 あきれた口調で秋元中佐はいった。瀬島中佐も口をへの字にしたままうなずいた。実際に逃げ出してきたドイツ人が目の前にいなければとても信じられない話ではあった。
「問題がいくつかある。彼らは戦時捕虜であるにもかかわらず帰国の気配が無かったそうだ」
「どういう意味だ。ドイツは数ヶ月前に降伏したばかりだ。まだ正式な降伏文書が無いとか、そういう意味ではないのか」
 意味ありげな視線になった瀬島中佐は秋元中佐に顔を近づけていった。
「これは彼らが直接聞いた話ではなく又聞きらしいのだが、ソ連の政治将校がドイツ人捕虜にこういったらしい。もうすぐ反革命罪によってお前たちの仲間が大量に送られてくるとな」
 秋元中佐は眉をしかめた。それはただの噂話ではないのか、だがそれにしてはやけに細部にこだわっているような気がした。
「それはどういう意味なのだろう。ドイツ人の捕虜がまた護送されてきたということなのか。そもそも反革命罪とは何なのだ」
「反革命罪とはソ連の国内法でアカの革命を妨害した人間をしょっ引く為のものだ。護送されるのはドイツ人では無いだろう。すでにドイツ国内には他の連合軍が展開している。その状況で新たな捕虜を大量に逮捕することは出来まい。そうではなく連れてこられるのはおそらく我々日本人だ」
 秋元中佐は呆気に取られて瀬島中佐を見つめた。瀬島中佐が冗談を言っているのかと思ったからだ。だが瀬島中佐はいつまでも真剣な顔をしていた。
「ちょっと待ってくれ。その反革命罪とかいうのはソ連の国内法なのだろう。なぜ国内法で日本人が捕まらなければならないのだ」
「ソ連軍が進駐した場所はすべて国内だとでもいう認識なのだろう。彼らが国際法を守るとも思えんしな。彼らは近いうちにやるつもりだ」
 そこでようやく秋元中佐にも事態が飲み込めた。
「彼らは満州を力ずくで奪取するつもりなのか・・・」
「まず間違いないな、しかも近いうちにだ。我々もそれに備えなければならないだろうな。だから今のうちにこれを渡しておく」
 そういって瀬島中佐は一枚の書類を出した。秋元中佐はそれをつかむと一読して眉をしかめた。それは関東軍の補充計画だった。それに従えば数日中に満州の邦人男性の殆どが招集されることになる。
「補充計画は結構だが、これでは満州国の国力が低下するぞ。それに新設師団にまわす物資もどれだけ調達できるか・・・」
「どうせ貴様のことだ、動員計画を見越した補給計画くらいはあるのだろう。なに、装備は倉庫から引っ張り出した旧式のものでもかまわん、何なら満州軍に譲渡した百式砲戦車でも三八式小銃でも取り返せばいい。それに国力も何も今は満州を防衛するのが最優先だ。それと召集されない邦人も国境地帯からは退去させるからな、今の関東軍では正面きった防衛どころか後退防御さえ出来ないだろうからな。とにかく今は緊急動員によって師団を増設して訓練を施すしかない。それに合わせて後方陣地もいまから建設しておかねばなるまい。これから貴様も俺も忙しくなるぞ」
 秋元中佐は一度大きなため息をついてからうなずいた。どうやら今は瀬島中佐の言うとおりのようだった。


    1945年 7月10日 奉天

 満州三菱と満州工廠が共同で使用する車両試験場はからからに乾いた荒野となっていた。普段は戦車が走り回っているのだろう射撃場は時たま土煙が吹き上がるほかには動くものは何も無かった。機動旅団所属の神咲少尉は吹き上げられた土煙の向こうにかすかに見える標的を狙撃銃用のスコープを使って観察していた。
 戦車砲用の標的は電動装置によって人為的な操作が可能なタイプだった。戦車砲の試験を行うときはこれを動かして砲塔の調子を見るときがあると聞いていた。その標的はいまは静止していた。移動物体に対する射撃試験は午後になってから行う予定だった。
 神咲少尉はスコープを下ろすと脇で試製重狙撃銃を組み立てている草薙軍曹に声をかけた。
「さすがに戦車砲の試験を行うだけのことはあるな、標的まで一千メートルはあるぞ」
 草薙軍曹は組み立てを行っている手はそのままで答えた。
「最近の戦車砲は射程がべらぼうに長いという話でしたからな、これくらい無いと試験もままならんのでしょう。大丈夫です、この銃だってあれくらい届きますよ」
「期待してるよ。貴様の腕もその狙撃銃もな」
 そういって神咲少尉は組み立て終わった重狙撃銃を持ち上げた。試製重狙撃銃は、今まで機動旅団で狙撃銃として用いられてきた三八式小銃の改造型とはまるで違っていた。試製の名が示すとおりにこの狙撃銃は制式化された装備ではなかった。試製重狙撃銃の原型となったのは一式対戦車小銃だった。
 一式対戦車小銃が採用された当時は、ノモンハン事件の戦訓により歩兵部隊に強力な対戦車兵器が求められていた。もともと関東軍には九七式自動砲という歩兵部隊が運用する二十ミリ砲が存在していた。だがこの自動砲は重量が60キロ近くある巨大なもので、しかも運用には10名ほど必要だった。それでいて20ミリ程度では対戦車兵器としては威力不足だった。
 九七式自動砲に代わる次期対戦車兵器として、当時は対戦車手榴弾や強化型の火炎瓶などが出現し対戦車兵器体系が混乱した時期だった。一式対戦車小銃が開発されたのもその混乱期ゆえだった。一式対戦車小銃は九七式自動砲をベースとして開発されていた。もっとも駆動方式をガス圧による半自動方式から古典的ながら信頼性の高いボルトアクションに、使用弾を運用の困難な20ミリから重機関銃に採用されている13ミリに変更された一式対戦車小銃は贅肉をそぎ落としたような構造もあいまってとても九七式自動砲を原型に持っているとは思えなかった。
 だが九七式の20ミリでさえ威力不足だというのに、いくら簡易で数を揃えられるからといって13ミリ程度ではせいぜい軽戦車や装甲車の弱点を狙うぐらいしか出来なかった。すでにソ連軍は弱装甲のBT戦車からT−34に装備体系を変更していた。
 結局、同盟国ドイツからもたらされた成型炸薬によって次期対戦車兵器はロタ砲、つまり三式7センチ噴進砲に決定された。ロタ砲は射程は短いものの九七式自動砲よりも少ない員数で運用でき、また威力も大だった。一式対戦車銃は制式採用こそされたものの少数が生産され、殆どが倉庫送りになった。同時期に開発された対戦車手榴弾が個人運用できる対戦車兵器として採用されたのとは対照的だった。
 試製重狙撃銃は失敗に終わった一式対戦車小銃を軽量化し、簡単に分解運搬出来るように改造したものだった。すでに対戦車兵器としての運用はあきらめ遠距離での精密狙撃を目的としていた。機動旅団は戦時には気球を使って密かに戦線後方に潜入するという計画があった。その撹乱作戦を安全に遂行する為の兵器として重狙撃銃という特異な兵器が誕生したのだ。
 重狙撃銃の運用としては長距離で要人や重要施設、車両を狙撃し、すばやく後退するという一撃離脱的な運用が考えられていた。その為に長距離で銃声を低減させる減音器まで用意されていた。

 神咲少尉は組みあがった重狙撃銃にスコープを取り付けるとふく射の体勢に入った草薙軍曹に渡した。少尉はそれに代わって双眼鏡を腰の装具入れから取り出した。神咲少尉はこの試製重狙撃銃を運用する狙撃班の班長と観測手をかねていた。
 草薙軍曹が使用するスコープは倍率の高いものだった。1000メートル彼方を狙う為にはそれが必要だった。だが倍率の高いスコープは同時に視界を狭めてしまう。これは狙撃手につきものの問題だった。これを補助するのが周囲と目標の監視を行う観測手だった。
 狙撃班はまだ実験的に編成されたばかりだから班員は神咲少尉と草薙軍曹の二人しかいなかった。それどころかこの重狙撃銃を運用していくのにどれだけの人員が必要なのかもわかっていなかった。つまりはこれから実験運用を繰り返して問題を洗い出していくのだ。
 準備の整った草薙軍曹はぼそりと呟いた。
「撃ちます」
 その声が止むか止まないかのうちに初弾が発射された。減音器を付けていても至近距離では従来の狙撃銃をはるかに超える銃声が発生した。神咲少尉はその銃声による耳鳴りを押さえつけるように集中して弾着を見た。
「弾着確認、右に10センチ、下に20センチほどズレとるな。調整するか」
 二人はそれからしばらく試製重狙撃銃の調整を行った。二射目以降は面白いように命中した。神咲少尉は満足そうにうなずいた。草薙軍曹は数少ない一式対戦車小銃の運用経験者だった。
 ――やはり再徴集者名簿で軍曹を見つけたとき配属を上申したのは成功だったな。
 そう考えると神咲少尉はすでに午後の移動目標の狙撃計画を考え始めていた。



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