プロローグ:1930年代






    1936年 2月27日 東京

 二月も後半だというのに東京は肌寒い日々が続いていた。日が変わっても前日降った雪は変わらぬ姿を人々の前に見せていた。それはまるでクーデターの勃発を覆い隠すかのようだった。
 近衛第一師団の秋元中尉は降り積もった雪の中で寒そうに待機している部下をみた。防寒服の支給が間に合わなかったために兵達は通常の軍服のままだった。そのせいというわけでもないのだろうが兵達の士気はあまり高くはなさそうだった。
 秋元中尉たちは前日発生したクーデターを鎮圧するべく行動していた。反乱部隊は第一師団に所属する皇道派の若手将校らの部隊だった。彼らは首相官邸や警視庁などを襲撃し要人を多数殺傷していた。現在においても反乱部隊は帝都の中枢を占拠していた。
 この反乱部隊に対してクーデター発生から一夜明けた27日には鎮圧部隊が展開していた。反乱部隊の原隊である第一師団、近衛第一師団、それに海軍陸戦隊だった。それに噂では海軍では演習中だった戦艦を東京湾に呼び寄せたらしい。だが鎮圧部隊をこれだけ早く出動させたわりには上層部の動きは鈍かった。
 今回のクーデターは軍上層部でも評価が分かれているらしい。それも当然だった。今の陸軍は大まかにいって皇道派と統制派の二つの派閥にわかれている。今回のクーデターを発生させたのは皇道派の若手将校たちだった。だから上層部でも皇道派はクーデターを掩護するような発言を繰り返しているらしい。統制派の動きが無ければ鎮圧部隊が出動することも無かっただろう。
 状況が一変させたのは昭和天皇の行動だった。反乱部隊によって重臣を失った昭和帝は激昂して近衛師団の直率をほのめかしたらしい。それにクーデターによる経済活動の停滞を恐れた財界による圧力もあった。結果として当初は第一師団だけの出動だった鎮圧部隊は近衛第一師団と海軍陸戦隊も加わることになった。
 だがそんな状況にもかかわらず秋元中尉は情勢を楽観視していた。というよりも皇軍同士の戦闘を想像できなかったのだ。鎮圧部隊を指揮してはいるものの秋元中尉は反乱部隊の若手将校に共感を覚えていた。東北の寒村で生まれ育った秋元中尉には、財閥こそ不況の元凶であるという若手将校の意見に納得できてしまうのだ。おそらく大部分の兵も同じ気持ちだろう。
 強力な資本力を持つ財閥が日本経済の牽引力であるということには彼らは気がついていなかった。ただ現在の不況の原因を目先の相手に求めたいという児戯にも等しい感情に過ぎないのだ。
 そんなわけだから海軍陸戦隊を除くと鎮圧部隊にはそれほどの緊張は無かった。

 部隊の誰かが上げた声に秋元中尉は反乱部隊が立てこもる桜田門をみた。そこからは将校を先頭にした数十人が出てきた所だった。投降するつもりだろうか、秋元中尉はそう考えてから頭を振った。反乱部隊は将校の軍刀を先頭にそれに続く兵たちも小銃を持っている。もしかすると鎮圧部隊と戦うつもりかもしれない。
 秋元中尉は兵たちの気を引き締めるためにも戦闘準備を告げた。兵達は待機していた場所からでるとすばやく薬室に初弾を装填した。秋元中尉が預かった兵の中には新兵も多かったから小銃の操作に手間取っているものもいた。
 いつの間にか反乱部隊の将校が秋元中尉たちに近づいていた。その将校の表情を見ることで秋元中尉は彼らの投降を確信した。中尉の階級章をつけた将校は何かをあきらめた様な表情をしている。おそらく投降を促すビラや気球を見て投降を決意したのだろう。
 秋元中尉はその将校に近づこうとした。彼らの行動は決して間違った理念から起こったものではない。それを彼らが投降する前に伝えたかったのだ。
 小銃の発射音が鳴り響いたのはその時だった。慌てて秋元中尉が振り返ると小銃を抱えた初年兵の一人が白い顔をして自分の手元を見ていた。彼の小銃が暴発したのは明らかだった。だが僅かに遅れて雪の上に倒れこんだ反乱部隊将校の姿が兵たちから理性を剥ぎ取った。
 次の瞬間、反乱部隊と鎮圧部隊との間で激しい銃撃戦がおこった。だが指揮官をなくし、また正規の命令系統が機能していなかった反乱部隊はすぐに制圧された。秋元中尉が部隊を把握したときそこに転がっていたのは反乱部隊の物言わぬ死体ばかりだった。
 だが周囲からは激しい銃撃音が聞こえていた。秋元中尉たちの銃撃をきっかけとして東京の中枢で大規模な銃撃戦が発生していたのだった。

 最終的に2.26事件として世に知られるようになるクーデターは帝国に大きな衝撃をもたらした。クーデターを起こした皇道派将校は最後は鎮圧部隊と交戦して果てた。約1400名ばかりの反乱部隊はほとんど全員が死んだ。鎮圧部隊、特に近衛第一師団は名目上とはいえ昭和帝が直率していた。つまりは鎮圧部隊と交戦した反乱部隊は朝敵となったのだ。
 反乱部隊の戦死は激しい抗戦を行ったためと説明されたが、その説明に納得できないものは多かった。実際、海軍部隊と交戦した反乱部隊の中には少数だが捕虜となった兵もいたのだ。一部の報道機関では陸軍が朝敵となった反乱部隊の証拠を隠滅するために殲滅したのではないかという報道もあった。
 それがさらに陸軍に混乱を招いた。その一部の報道が昭和帝のもとにまで届いてしまったのだ。昭和帝は陸軍に抜本的な体質の改善を望んだ。政府としても世論の追求を避けるためには陸軍の改革に臨むしかなかった。
 秋元中尉は改革の嵐が陸軍に吹き荒れるなか近衛第一師団を追われるようにして陸大へと入学していた。


    1939年 7月3日 ノモンハン

 状況は悪化する一方だった。不破少尉は苦々しい表情で連隊集合地点を眺めた。今日の正午ごろに出撃したときには埋まっていた場所のいくつかから櫛が抜け落ちたかのように九七式中戦車の姿が消えうせていた。
 不破少尉が指揮する小隊も三両のうち一両が全損する被害を受け、もう一両もかなりの損害を受けていた。無事なのは不破少尉の乗車だけで、すでに小隊としての戦力をなしてはいなかった。どこの中隊も同じような損害を受けているはずだった。
「どうにもいかんですな」
 いつの間にか不破少尉の脇にきた御神伍長が煙草を差し出しながら言った。不破少尉は苦笑いをしながら煙草を受け取った。御神伍長は損害を受けて後送が決まった戦車の乗員だった。
「何が駄目だというんだ。こっちの戦車かそれともあっちの戦車か」
 同郷の出身という気安さで不破少尉は御神伍長に返した。
「どっちもです。露介の戦車は固いし対戦車砲は優秀だ。それに対してこっちはね・・・」
 周囲を気にしてか御神伍長は口を濁した。だがそれから先は不破少尉も理解していた。昨日と今日の戦闘で愛車の九七式に対する信頼は完全に失せてしまっていた。
「士官学校を出て配属先では最新鋭戦車に乗れると聞いたときは嬉しかったんだがな」
 苦々しい顔で不破少尉は九七式の薄い装甲板を手で軽く叩いた。同じような表情で御神伍長も答えた。
「自分だって同じようなものですよ。連隊に新型が配属されるということを聞いたときは小躍りしようかと思ったくらいです。まぁ八九式よりも軽いと聞いたときには驚きましたがね」
「このチニ車じゃ駄目だ。この戦車じゃソ連軍には勝てない」
 急に下を向くと不破少尉はつぶやくようにいった。九七式中戦車がソ連軍の戦車群に対抗できないのは明らかだった。主砲である短砲身57ミリは榴弾による歩兵支援を目的とした砲だった。初速は遅いし砲弾も榴弾ではソ連軍の戦車が持つ装甲は貫けなかった。装甲厚はこちらも同じくらいだったがソ連戦車の主砲は長砲身の対戦車砲だった。砲弾の口径こそ小さいものの長砲身から打ち出される高初速の徹甲弾は易々と日本軍の戦車を打ち抜いていた。
 それに運用上の問題も九七式中戦車は抱えていた。八九式中戦車よりも小型で軽量に作ったために乗員が四名から三名に削減されていた。参謀本部のほうでは単純に戦車連隊の人員が減らせるとして単純に喜んでいたようだが実際に九七式を装備した部隊の評判は散々だった。
 乗員が三名では砲手と車長は兼任せざるを得なかった。だがこれでは車長の監視能力はがた落ちしてしまう。戦車は内部からの視界が極めて悪い兵器だ。砲手が使用する照準機は倍率がかけられているから視界は意外なほど狭い。だから戦場全体を見まわせる車長が状況を把握し目標を指示することで砲手は自分の仕事に専念できるのだ。決してどちらかの片手間に出来ることではない。
 二人はその後は押し黙ったまま小さな中戦車を見つめた。だがしばらくして大きな足音が聞こえてきた。二人は気配を感じて後ろを振り返った。そこには参謀飾繻をつけた一人の佐官が二人を睨みつけるようにして立っていた。その雰囲気に圧されて二人は慌てて敬礼した。参謀は二人をしばらく観察すると答礼も無しにいった。
「戦車第三連隊の不破少尉と御神伍長だな。私は関東軍参謀少佐の辻正信だ。貴様らはしばらく第三連隊を離れて鹵獲した戦車に乗ってもらう」
 それだけを言うと辻少佐は背を向けて歩き出してしまった。二人は顔を見合わせると困惑したまま辻少佐を追いかけた。辻少佐は二人が着いてくるのが当然かのように淡々と説明を始めた。
「貴様らに乗ってもらうのは今日の戦闘で我が軍が鹵獲した新型中戦車だ。ソ連軍の最新鋭試作戦車だが燃料が切れた所を我が軍に捕獲されたのだ。そこで燃料を搭載し他に鹵獲された戦車と同時に特設中隊を編成することとなった。急なことでもあるから指揮は私がとることになっている」
 話し終えたとき三人は急造の戦車壕らしき場所に着いた。不破少尉と御神伍長は呆気に取られて鹵獲された中戦車を見上げていた。辻少佐はそんな二人の様子を観察している。

    1939年 8月13日 ノモンハン

 ハイラルから自走してきた戦車第八連隊は履帯を軋ませつつ戦車部隊の後方陣地に到着した。第八連隊の連隊長である原大佐は他部隊の戦車兵たちが見せる無遠慮な視線に戸惑っていた。かれらは待ち望んでいた援軍と補給、修理物資が到着したというのに不満そうな顔をしていた。
 戦車第八連隊がノモンハンに増派されることになったのは派遣されていた二個戦車連隊の被害が大きかったためだ。だが関東軍には戦車連隊をさげて新たな部隊を投入する余裕は無かった。二年前の蘆溝橋事件から始まった満州南部国境の緊張はまだ解けていないからだ。
 南部国境では蘆溝橋事件から連続していくつかの軍事衝突が起こっていた。最初は共産党と保安隊によって通州でおきた邦人の虐殺だった。陸軍の中にはこれに対抗して関東軍の一部をもって中華民国に侵攻すべきだと言う意見もあった。だが2.26事件の影響がまだ抜け切っていない参謀本部は陸軍主導の侵攻作戦に二の足を踏んでいた。
 結局日本が行ったのは中華民国に対する通州襲撃犯の引き渡し要求だけだった。だが国民党としても蘆溝橋事件は困惑する事態のようだった。むしろ共産党を中心とする強硬な反日組織に両国が振り回されたと言うべきかもしれなかった。この時点では両国ともに開戦を望んでいなかった。一時は国共合作 の可能性もあったようだが、最終的には国民党軍による対共産党戦略に変わりは無かったようだ。
 だがそれから二年たっても国境地帯が緊張地帯であることに違いはなかった。戦車第八連隊がノモンハンに出動できたのも奇跡的なことだった。それどころか関東軍は壊滅状態にある二個戦車連隊の戦力を回復するために大量の補給物資まで調達していた。だから戦車連隊の兵たちはもっと喜んでいてもおかしくはなかった。
 不思議には思ったものの原大佐は部下に戦車の整備を命令するとこれから所属することになる支隊長に挨拶に行こうとした。だが支隊司令部にたどり着く前に一人の参謀が原大佐を呼び止めた。
「戦車第八連隊の原大佐ですな。自分は関東軍参謀少佐の辻正信です。大佐に見ていただきたいものがあります、こちらに来ていただけますか」
 原大佐は強引な辻少佐に困惑していた。辻少佐はそんな原大佐の様子を気にすることなく支隊長の許可は得ていることを言うとさっさと近くの陣地に向かって歩き出した。原大佐はそれについて行きながら辻少佐に気になっていたことをたずねた。
「他連隊の兵たちはかなり元気が無いようだが何かあったのか」
 だが辻少佐はなんでもないように言った。 「援軍を見ても喜ばないということですか」
 原大佐がさらに困惑すると辻少佐は一度ため息をついてから言った。
「それは第八連隊の装備もチニ車だからです。事変が勃発してから第三連隊と第四連隊はソ連軍戦車に対して能力の劣るチニ車で対抗しています。最近では火砲が破損した戦車を改造した工作車に掘らせた対戦車壕を使用しています。装甲のもろい戦車でも半身を隠す対戦車壕にはいれば生存率が格段に向上するのです。しかし砲はそのままだから敵の戦車を撃破するのは難しいです。
 いままで戦車隊が壊滅しないでいるのは敵軍の戦術が洗練されていないからです。戦車をがむしゃらに突進させるだけですから装甲のもろい側面や後部に回りこむのは容易なのです。それに敵の戦車兵は少しばかりの損害や燃料切れでもあっさりと自軍の戦車を乗り捨てています。それだけ戦車の数があるということなのでしょう。
 大佐殿に見ていただきたいのもそうして乗り捨てられた所を鹵獲した戦車です」
 そういい終わる前に二人は一つの対戦車壕の前にたどり着いた。そこには無骨な姿をした戦車があった。
 その戦車の乗員らしい戦車兵が顔を見せた。だが原大佐は目の前の戦車に心を奪われていた。姿形が流麗だというのではない。むしろ荒々しい表面処理などはこの戦車を無骨なものに見せていた。完全に傾斜した分厚い装甲や日本軍の戦車と違って車体から大きく前に突き出した長砲身の主砲がこの戦車の用途を物語っていた。間違いなくこの戦車は対戦車戦闘を優先して設計された戦車だ。
「捕虜にしたソ連兵の話によるとこの戦車はT−34というのだそうです」
 原大佐がわれに返って声のしたほうを向くと戦車長らしい若い少尉がいた。
「申し遅れました。戦車第三連隊所属、特設中隊の不破少尉です」
「T−34・・・」
「そうです、この戦車の主砲は長砲身の76ミリ砲です。特設中隊でこの戦車を運用してからもう何両ものソ連戦車を撃破しています。高初速の76ミリ砲弾ですから威力はチニ車の57ミリ砲などとは桁違いです。それに装甲も厚い。ご覧のように戦場では何発もの敵弾を食らいましたが、大半が無力化されています」
「主機はディーゼル機関を搭載しているのですね。ガソリン臭がしない」
「そうです。その為か外部燃料タンクを車外に装備しておりました。今はもったいないので外しております。その他にも欠点が無いわけではないのです。この戦車の乗員は四名ですが砲手と車長をかねるためにチニ車のように戦場監視能力が大幅に減じられています。理想を言えば砲塔には車長と砲手、装填手の三人がほしい所です。ですが全体的に見ればこの戦車は強力な砲と厚い装甲、高出力の機関を兼ね備えたすばらしい戦車です」
「原大佐、このような戦車を我が陸軍は製作することが出来ますか」
 二人の話を黙って聞いていた辻少佐が話に割り込むようにしていった。
「従来の戦車ではいずれはこの戦車を主力としてくるであろうソ連軍には勝てません。この戦車にはそれだけの力があるのです。ですが彼らの戦術はあまりにも稚拙だ。戦術や戦車兵の質ならば我が軍が優れている。つまり我が軍がこのような戦車を装備すればソ連軍などものの数ではありません」
 そう力説する辻少佐の目には狂気が垣間見えていた。原大佐はその狂気におされていた。助けを求めるようにして不破少尉を見たが少尉も期待に満ちた目で大佐を見ていた。
 原大佐はため息をつくと自分の考えをまとめながらゆっくりと話した。
「この戦車をそのまま模倣できるかという話でしたら不可能です。この戦車はソビエトで設計されソビエトで製造されたものだからです。ソビエトと同じ質の戦車製造技術がない限りこれと同じものは出来ない」
 落胆した不破少尉と不満そうな辻少佐を見て慌てて原大佐は続けた。
「勘違いしないでいただきたい。私は今この時点でこの戦車を模倣しても意味がないといっているのです。ですがこの設計思想を受け継いだ戦車を作ることは可能です。傾斜した重装甲に強力な対戦車砲、これを動かすのに十分なエンジン、単純に言えばこれがこの戦車の全てです。それならばその思想で新型戦車を作ればよいのです。それで現状に満足せずに研究を怠らなければ数年でこの戦車を凌駕するものを作ることも可能でしょう」
 原大佐はそのときは自分の感想を言っただけだった。原大佐は初の国産戦車である一号戦車から一貫して戦車に携わってきた技術将校だったが機甲部隊の方針を決定できるほどの権力があったわけではない。
 だからその一言が戦車部隊のみならず帝国陸軍の体制をも変質させることになるとはその時にはまったく気がついていなかった。



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