第五話:硫黄島沖海戦






    1945年 2月22日 硫黄島沖南方

 大和と第一部隊はようやく戦闘速度から巡航速度に落としたところだった。艦橋内では航海参謀が予期していなかった戦闘によって消費してしまった燃料の計算を行っていた。大和や武蔵のような大型艦はともかくとして、駆逐艦は最大戦速を発揮した場合は急速に燃料を消費してしまう。
 大型艦と比べると兵装に対する比率が高いから重油タンクに十分な空間を割り振れないし、そもそも駆逐艦に使用される機関は最高出力に重点を置かれて設計されているから必ずしも燃費については最適化されていないのだ。
 そんな駆逐艦に最大戦速を連続して発揮させた場合作戦終了までに燃料が尽きてしまう可能性がある。大型艦から燃料管を使用して給油することも可能ではあるが、第二水雷戦隊の各艦に対して給油を行うにはかなりの時間をかけなければならない。制空権がない海域で長々と作業を行うのは危険な行為であるから駆逐艦の残燃料を把握することはかなり重要だった。
 大石中佐は航海参謀の計算を手伝っていた。彼ら以外の司令部要員は先ほどの戦闘で与えたおおよその損害をまとめているところだった。それに加えて通信参謀は司令部が指揮する戦隊が受けた被害をまとめている。
 1番最初に作業が完了したのは通信参謀だった。先ほどの戦闘はほとんど一方的なものでこちらの被害がほとんど無かったからだ。敵艦隊には何故か直衛部隊がほとんどいなかった。輪陣形をとる空母3隻に従っていたのは軽巡洋艦を旗艦とする十隻ばかりの小艦隊だった。山口中将は通信参謀から被害報告を受け取るとざっと見ただけで返した。どうせ報告を見なくとも損害がほとんどないことはわかる。
 続いて航海参謀と他の参謀達が出した報告書が山口中将が把握した後で艦橋内にまわされた。司令部要員はその戦果に興奮している様だった。
「正規空母撃沈に撃沈確実は一つづつ、それに空母一隻に発着艦不能な損害か・・・」
 誰かが呟くのを聞きながら僅かに大石中佐は眉をしかめた。確かにこれは戦果としては無視できない。しかし戦局に与える影響がどれほどあるのかは分からなかった。開戦直後とはちがって米海軍は多数の正規空母建造に成功している。その数は最盛期の日本海軍機動部隊をも超えることは間違い無いだろう。さらに空母単艦の性能も米空母は高いのだ。
 そのなかから一隻を沈めてみたところで戦局に大きく左右される事は無いだろう。それ以外の撃沈確実や損害と言うのも怪しいものだった。それはあくまでも日本海軍の空母を基準として考えた場合の損害に過ぎないからだ。
 米海軍の艦艇は日本海軍のそれと比べると損害に強いという面を持っていた。確かに日本海軍は兵装が過多である場合が多いから構造材に無理がかかっている場合が多かった。だがその点は米海軍も対空兵装の増設などでトップヘビーになっている傾向が強いからそれほど差があるわけではない。
 日本海軍と米海軍の違いはハードウェアよりもソフトウェアの方が強かった。米海軍は被害を受けた時に対応する応急班が充実しているのだ。勿論日本海軍にも副長を長とする応急班は存在するのだが、米海軍ほどシステム化はしていなかった。
 これらをいいかえるのであれば。米海軍は日本海軍と比べて受けた損害を局限するという技術に優れていると言うことなのだ。だから多少の損害であれば安全な後方に回航して修理することは難しくないのだ。それこそ真珠湾で沈めた筈の旧式戦艦がよみがえっているかのようにである。
 ――だからこれだけの損害に浮かれていても意味は無い
 大石中佐はそう考えていたのだが口にするわけにはいかなかった。大石中佐は大和の航海長であるのに過ぎない。参謀ですらないのだから司令部の方針に文句をつけるわけにも行かないからだ。
 山口中将はこの戦果をどう考えているのだろうか、ふと大石中佐がそう考えて山口中将に振りかえると中将と目が会った。
「航海長、大和の足で硫黄島まであとどれくらいかかるかな」
 大石中佐は慌てて海図を見ながら答えた。
「あと一時間半といった所だと思います。島を射程に捉えるのはもっと前ですが、誤射を避ける距離にまで近づけばそんなものでしょう」
 山口中将は思案するような顔になったが、すぐに声がかかった。
「その前に厄介なものが見つかりましたよ」
 慌てて大石中佐が声のした方を振りかえると、どこか楽しげな表情をした西園寺がいた。
 顔をしかめた参謀が何人か西園寺に文句でも言おうとしたが、それよりも早く山口中将がたずねた
「電探はまだ動かしていなかった筈だな。また逆探知か」
「はい、しかも駆逐艦のものよりも出力は大きいです。おそらく発電力に余裕のある大型艦のものであると思われます。それと真っ直ぐこちらに向かっております」
「戦艦か・・・」
 誰かがそう呟くのを大石中佐は聞いた。等々米海軍は海上砲戦部隊を出してきたらしい。
「すでに無線封鎖に意味はあるまい。電探を作動させたまえ」
 山口中将が頷きながらそういうと西園寺は嬉々として電探室に命令を伝えていた。


    1945年 2月22日 硫黄島南方

 貧乏籤ばかり引かされている。バトラム・J・ロジャース少将はウエスト・バージニアのCICで不機嫌そうな顔をしながらそう考えていた。
 本来ならばロジャース少将が率いる第54任務部隊は対艦攻撃に使用されることは無い筈だったからだ。第54任務部隊が本来与えられている任務は硫黄島にこもる日本軍に対する艦砲射撃の筈だった。
 だから艦隊が保有する砲弾のほとんどは対地攻撃に使用する榴弾だった。榴弾では戦艦に対して効果を上げるのは難しかった。戦闘では数少ない徹甲弾をやりくりするしかない。だが砲弾のことよりも艦隊に所属する艦そのものの方が問題だった。
 第54任務部隊に所属する戦艦は、一度真珠湾に沈められてから引き上げられて回収された旧式艦ばかりだった。しかもウエスト・バージニアをのぞくと全て36センチ砲搭載艦なのだ。
 それに対して襲来する日本艦隊は最新鋭のヤマトクラスが2隻含まれていると言う情報があった。もう一隻は旧式のコンゴウクラスだというが、旧式艦とはいってもこちらと同じように近代化改装を何度も行っている以上は侮れない戦力であると考えるべきだった。そして正体不明のヤマトクラス。その主兵装はいまだ不明のままだが、少なくとも40センチ砲を積んでいる事は間違いないだろう。しかも速力はアイオワクラスに匹敵すると考えられていた。
 ――なんだ、隻数以外は全部こちらが劣っているじゃないか
 ロジャース少将は不景気な結論に達した。向こうは40センチ砲戦艦二隻に36センチ砲が一隻、こちらは40センチ砲が一隻に36センチ砲が四隻、速力も考えれば数の優位がどれほど優位に働くか見当もつかなかった。
「敵艦隊をレーダーで確認しました。距離約40キロ」
 僅かに眉をしかめるとロジャース少将は自分と同じように不景気な顔をしている参謀長に振り替えていった。
「おい、迷子の高速戦艦どもはどうした」
「いまだナガトクラスと砲戦中です。どうやら拘束されたと考えて良いのでしょうな」
「ふん、最新鋭戦艦を持っておきながら何をしていやがるんだ」
「それだけジャップが巧みだということでしょう。航空隊は新兵ばかりとも聞きますが、艦隊の方はそうでもないようですな」
「おいおい、旧式艦でそれに突っ込むこっちの身にもなってくれよな。まぁいい、58任務部隊には『これより魔女の婆さんの大釜に突入する』とでも発信しておいてくれ」
 冗談めかしてそういうと通信長がにやりと笑って頷いた。
 うん、決して士気は悪くない。確かに不利な戦闘にアホな上層部のおかげで投入されようとはしているが、それでも艦隊の全員が何を為すべきかを理解していた。この艦隊を突破されてしまえばもう硫黄島まで障害物は何も無いのだから。
 性能は向こうの方が上かもしれないが、果敢な戦闘を行えば敵艦隊を撃破するのは無理ではない。ロジャース少将は楽観的に考える様にしていた。

「敵艦発砲」
 随分早いな、ロジャース少将は首をかしげながら見張りの声を聞いた。首をかしげながら艦長の方を向いた。
「こちらはまだ無理かな」
「無理ですなぁ、ヤマトクラスはかなりの長砲身を積んでいるのでしょうか?」
 一瞬眉をしかめるとロジャース少将は覚悟を決めていった。
「そうだとするとこちらはかなり接近する必要があるぞ。はやく後続艦も射程に入れて数で勝負をしなければなるまい」
 それから弾着までにはしばらく時間が合った。その時間差にロジャース少将は敵戦艦との距離を感じていた。
 弾着の衝撃は考えていたのよりもずっと大きかった。直撃弾は勿論無かったが、それでもウエスト・バージニアの船体はかなり揺られていた。その揺れはロジャース少将の背に悪寒を走らせるのに十分だった。
 今までロジャース少将はヤマトクラスの主砲は40センチ砲だと考えていた。というよりも世界中の誰もがそう考えていたのだ。だが、もしもヤマトクラスがそれよりもワンクラス上の主砲を搭載していたとしたら・・・
 確か昔合衆国海軍でも40センチを超える艦載砲の研究を行ったことがあるはずだった。そして日本の造船技術は決して合衆国に劣るものではない。日本海軍が40センチ以上の砲を搭載した戦艦を建造していたとしても不思議ではなかった。
 今味わっている衝撃にロジャース少将はそう考えるだけの根拠があると感じていた。そしてそうだとすれば・・・
「もし敵艦の主砲が46センチならば・・・本艦では奴に勝てない」
「敵弾、我が艦を挟叉しました」
 ロジャース少将だけではない、司令部要員のほとんどの血の気が引いていくのが分かった。このまま接近させてくれるのか、それだけをロジャース少将は考えていたが、案外早くに主砲射程内に侵入していた。
「よし、こちらも撃ち返せ」
 ロジャース少将の命令から殆ど間髪をいれずに砲撃の衝撃が艦体を揺さぶった。それと同時に敵艦からの砲撃も激しくなる。おそらく挟叉を得たことで効力射を行おうとしているのだろう。
 そして最初の命中弾が現れた。
 大和の3番目の斉射は何発かが近弾と遠弾となり、一発が命中した。命中したのはウエスト・バージニアの第二砲塔だった。46センチ砲弾はウエスト・バージニアの砲塔装甲を食い破って内部の砲尾を叩き壊しながらその下の火薬庫に侵入して弾頭を作動させた。
 下手をすれば収められていた砲弾が誘爆する所だったが、間一髪で注水が間に合ったのか第二砲塔が吹き飛んだ以外に被害は無かった。
 だがロジャース少将がその報告を聞き終わる前に更に大きな衝撃がウエスト・バージニアを襲った。座席から転がりそうになったロジャース少将は艦体の軋む悪魔の音を聞きながら艦長を見た。艦長も呆気にとられた顔をしながら顔を見合わせていた。命中したのは一発だけの筈だったが、もしかすると誘爆は避けられなかったのだろうか。
 次第にCICでも分かるくらいに傾斜が激しくなっていた。どうやら大規模な浸水が発生している様だ。
 ――魚雷でも命中したのだろうか・・・
 ロジャース少将の知る由は無かったが、近弾となった46センチ砲弾の一発が水中弾となってウエスト・バージニアを襲っていたのだった。一瞬の内に発生した巨大な破孔は応急処置を実質上無効にしていた。
 やがて傾斜角が限界にまできたウエスト・バージニアはゆっくりと沈んでいった。総員退艦命令は早いうちから出ていたがロジャース少将や艦長が退艦することは無かった。


    1945年 2月22日 硫黄島

 行政区分上は東京都に属する硫黄島は、年間を通して気温は本土の東京都よりもずっと高かった。今の頃はまだ暑くなる時期ではない筈だが、それでも東北の寒村で生まれた伊原大尉には暑苦しく感じられる気温だった。
 もっともそのじめじめとした天候よりも、戦場の雰囲気の方が伊原大尉をまいらせていた。さしたる考えも無く海軍の短期現役士官に志願した伊原大尉は、本来なら第27航空戦隊司令部付きの法務士官である筈だった。
 しかし市丸少将指揮下のもと地下にこもった海軍部隊の司令部にいるはずの伊原大尉は硫黄島で最も標高のある擂鉢山に陣取る陸海部隊と共にいた。擂鉢山守備隊としては位置されていた海軍部隊との連絡に訪れた所で身動きが取れなくなってしまったのだ。おかげで法務士官である伊原大尉は衛生兵の真似事をさせられていた。
 だが上陸以来激しく続いていた戦闘は不思議なことに今日は不活発だった。今朝方には海岸への爆撃に続いて日本軍による反撃が行われていた様だが、それにしても昨日までの米軍の激しい攻撃がまるで嘘のような静けさだった。毎日姿を見せていた米軍機の姿さえ見つからなかった。本来なら米軍が不活発である今こそ反撃に出るべきなのだろうが、擂鉢山守備隊の残存兵力にその余力は存在しなかった。
 伊原大尉は地下に設けられた応急の野戦病院から抜け出すと山頂近くの監視壕に顔を出していた。監視壕にはこの数日の間に知り合いになった陸軍の下士官がいた。だが彼以外の面々はめまぐるしく変わっていた。戦死するか病院送りになったのだ。当初陸海軍合わせて1700名を数えていた守備隊は400名にまでその戦力をすり減らしていた。
「水野軍曹、米軍の動きはどうですか。今朝は随分静かだった様ですが」
「ああ、伊原大尉殿ですか。今の所アメちゃんに動きはありませんな。どうにも生殺しの気分です」
 伊原大尉は水野軍曹の脇に腹ばいになって双眼鏡で米軍の様子を見た。確かに軍曹の言う通りに米軍は昨日とほぼ同じ位置で待機を続けていた。たまに米軍が散発的な射撃を繰り返して来るが、どうやらあてずっぽうに撃っているだけの様だ。
「あれは囮で密かに小規模な部隊を迂回しているという可能性はないかな」
 あまりやる気の無さそうで伊原大尉は言った。自分で言ってみたはいいものの周囲の地形を考えればそんな可能性はなかった。無言で首を振る水野軍曹を見ながら伊原大尉は考えつづけた。
「基督の誕生祭の筈はないし、アメリカの記念日と言うわけでもないよな。とにかく原因は米軍の砲にあると思うが・・・」
 伊原大尉は双眼鏡を海岸線に向けていって気が付いた。
「軍曹、海岸にあれだけいた輸送艦が見えなくなっているぞ」
「そうです。今朝起こった火事を消してから急に輸送艦が沖合いに出ていったんですよ。何か出たんですかね」
 首をかしげながら伊原大尉は壕の床に腰を下ろした。水野軍曹もその反対側に腰掛けた。
「どうです。海軍さんならこの状況をどう考えます」
 面白そうな顔でこちらを見ている軍曹に苦笑いを返しながら大尉は言った。
「俺は法務士官だよ。戦争がなければ今頃はどこかの法律事務所にでもいたさ。だから俺が君以上に戦争で知っていることなんてない。お手上げだな。強いて言えばよっぽどの援軍が来たとか」
 だが伊原大尉が言い終わる前に壕の近くに弾着があった。小銃弾や迫撃砲弾ではない。戦車砲クラスから放たれた榴弾によるものだった。反射的に壕に伏せた二人は安全を確かめてから恐る恐る壕の中から監視を始めた。ついさっきまで静止していた米軍が急に活発な攻撃を始めていた。今までの一進一退を争うと言う状況ではなく、米軍は砲弾の浪費を恐れることなく突進していた。
 水野軍曹はすばやく伝令を司令部に飛ばしていた。米軍の攻撃はいかにも稚拙だった。確かに勢いは激しいが、進撃速度が速い分だけ側面の防御は疎かになっている。側面から伏兵で付けば撃破は決して不可能ではなかった。
 伝令を送ると水野軍曹は伊原大尉を迷惑そうな目で見た。これからしばらくは激しい戦闘が続きそうだった。そんななかに海軍さんを巻き込むわけには行かなかった。だが大尉は双眼鏡を海上の一点に据えたまま無言で突っ立っていた。
 とうとう耐えきれなくなった水野軍曹が言った。
「大尉殿、もう地下壕に入られてはいかがですか」
 だが伊原大尉は返答の代わりに急に笑い出していた。いぶかしむ水野軍曹の視線を感じて振りかえると大尉はうれしそうに言った。
「すまないが軍曹、司令部に伝令を出してくれないか。取っておきの援軍がやってきたってな」
 軍曹だけでなく周囲の兵も伊原大尉を不思議そうな目で見ていた。戦場の雰囲気に呑まれて狂気に取り付かれたのだろうか、そう考えているものは多かった。だが大尉は黙って沖合いの一点を指差すだけだった。そこには帝国海軍最強の戦艦が浮かんでいた。

 伊原大尉達には知る由もなかったが、急に始まった後先を考えない米軍の攻撃は前線を混乱させることで戦艦の艦砲射撃を避ける為だった。すでに海岸線に置かれている補給物資はあきらめられていたのだった。



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