第一話:硫黄島沖海戦






    1945年 2月18日 呉

 呉の沖に一大艦隊が終結していた。帝国海軍艦艇の内、航洋力の有る大型艦艇はほぼ全てがかき集められていた。数少なくなった空母こそ無いものの、稼働可能な全戦艦が終結した姿は列強に名を連ねた海軍のことだけはあった。
 長らく連合艦隊旗艦をつとめた長門に空襲で損害を受けるも大車輪で修理を間に合わせた伊勢、日向の両艦、それにレイテ沖での損傷をついこの間修理したばかりの高速戦艦大和と武蔵も並んでいた。
 重巡戦隊は数少なくなっていたが、歴戦の第二水雷戦隊を始めとする駆逐艦部隊は充実していた。もっとも駆逐艦の大多数は護衛総隊向けに設計された松型駆逐艦の改設計に過ぎない橘型だった。
 原設計の松型が爆雷や対空兵装に重点をおいた護衛用駆逐艦であるのに対して橘型は61mm魚雷発射管などの雷装が充実しており一応は艦隊型駆逐艦と呼べるだけの武装を持っていた。もっとも水雷艇の機関を流用した主機などの船体設計は同一であり、将兵からの評判はあまりよくは無かった。しかしソロモン海やレイテでの戦いで巡洋艦や駆逐艦といったいわば背骨となる艦艇を多数失った海軍には松型以外に補充の駆逐艦を建造する手段は存在しなかった。
 特型などの艦隊型駆逐艦の代替艦として建造された橘型は松型からの改設計に二週間をかけ、建造は一ヶ月少々で可能だった。おかげで元々数が減っていたとはいえ、連合艦隊所属の駆逐艦の半数が橘型になっていた。そんな事が可能だったのは松型が戦時体制下での量産を前提として設計されていたからだ。
 松型の原型となる設計図が最初に製図されたのは二十年前の護衛総隊創設とほぼ同時期だった。もちろん現在の松型とはかなり違う部分が多いものだったが、設計自体は新技術が開発されるたびに手直しされ、プロトタイプとなる艦が実験的に建造された。
 プロトタイプの艦は多くが海防艦や護衛駆逐艦として海外に売却されていたが、護衛総隊は売却されてその先の海軍で運用された後も定期的にデータを集めた。それらのデータと研究された商船護衛戦術をもとに設計図は更に洗練されていった。
 そんな面倒な手段をとらざるを得なかったのは護衛総隊の予算が圧倒的に足りないからだ。本来なら商船護衛の為の艦隊を用意出来ればよかったのだが、予算不足の海軍には平時においてそんな艦隊を整備するだけの余裕は無かった。
 そのおかげで護衛総隊に所属する艦艇は旧式駆逐艦や海防艦しか存在しなかった。開戦直前までは護衛総隊は僅かに数隻の艦隊で訓練と戦技開発を進めていたのだ。松型の建造が開始されたのはちょうど連合艦隊が真珠湾に空襲をかけた日だった。
 こうして建造された松型は他の駆逐艦と比べると特異な部分を持っていた。外形からして日本の駆逐艦らしからぬ形をしていた。艦隊型駆逐艦が凌波性を重視して艦底から大きく広がる曲線状の艦首構造を持つのに対して、松型は二箇所の屈折点で折れ曲がってはいるものの直線で構成された艦体を持っていた。
 直線的な構造は艦体だけではなかった。艦上の構造物もほとんど直線で造られていた。艦橋や艦載砲の砲塔までもが直線を使用していた。そんな構造になったのは今までの鋲打ちではなく溶接を使用した工作が多いからだ。
 溶接技術はまだ信頼性に劣る部分があったが、鋲工事で建造するよりも構造材の節約が出来ることが分かっていた。鋲工事ではどうしても鋲を固定する部分が必要だが、溶接では理論上繋ぎ目の無い構造を作ることが可能だった。これは鋲が露出しない為に抵抗の軽減も可能だった。
 直線を多用した設計による速度の低下を押さえる為にも溶接の多用は必至だった。たしかに溶接技術の信頼性はまだまだ高いとはいえないが、護衛総隊と艦政本部は長年の努力によって溶接技術を高めていた。それは溶接に使用する工具や構造材の種類と言った直接的な技術だけでは無く、短時間で習得できる溶接法と言うことにまで及んでいた。
 だがそれも当然だった。いくら短時間で建造できるとはいえ海軍工廠のほとんどは連合艦隊所属艦の建造で占められることが予想されていたから、松型は民間の造船所でも建造できるような工夫がなされていた。
 松型以前に建造された海防艦でも溶接は多用されていた。そして数々の実験によって鋲工事と比べると残留応力は大きくなってしまうが、鋲部分で発生する集中応力を考えればむしろ溶接工事のほうが耐久性が上がるという結果が出るまでに溶接技術は向上していた。
 その他に松型にはある特色があった。外見からは分からないが、松型の建造にはブロック構造も徹底して用いられていた。あらかじめ工場で艦体の一部を建造し、ドックで組み立てるブロック構造は松型に汎用性の高さをもたらしていた。
 ようするにブロックに互換性を持たせることで異なる機能を持つ艦を容易に建造できるようにになっているのだ。
 例えば松型では二基の主機を相互に配置していたが、この主機をブロックごとより高出力なものに換装することが可能だった。実際に橘型では主機の換装を行い、速力を松型の27ノットから32ノットに上昇させていた。
 他にも甲板上のターレットの共通化など改装を前提とした設計が多く見られた。これは汎用性を高めるというよりもは、新造艦の建造が困難であることが予想される為に兵装の換装などで長く使用できる艦を建造するためでもあった。
 松型の建造は順調に進み、開戦から数年して本土近海にも出没するようになった米軍の潜水艦や航空機の襲来から船団を十分に護衛していた。
 だが、その間にも連合艦隊と陸軍は、日本とは比べ物にならない工業力を背景とした圧倒的な戦力差を持つ米軍に敗北を続けていた。太平洋戦線では島嶼守備隊の玉砕が相継ぎ、大陸でも国共合作をなした中華民国と関東軍の間に膠着状態が続いていた。
 連合艦隊はそれまでの護衛総隊に対する無関心と言う仮面をかなぐり捨てて松型を艦隊型駆逐艦に選択するほどだった。それほど戦線は逼迫していた。
 今、呉に集合している大艦隊によって行われる作戦も時間稼ぎに過ぎなかった。


    1945年 2月18日 東京、護衛総隊司令部

 護衛総隊で参謀を務める大井中佐は閑散とした雰囲気の有る司令部で書類仕事を続けていた。船団護衛任務がおおむね順調に進んでいるとはいえ最近になって件数が増えている米軍機の襲来に対する手当ては常に必要だった。
 今まで商船襲撃の主体だった潜水艦による攻撃は最近なりをひそめていた。護衛艦隊の対潜技量の向上を考えれば潜水艦の被害が無視できなくなったと言うことだろう。油断は出来ないがおそらく今は米潜水艦隊は戦力の回復に努めているのだと判断できた。
 それに対して航空機の脅威は減るどころか逆に増加している傾向があった。しかもこれまでとは襲来してくる機種が違っていた。大井中佐は護衛艦隊から上がってくる情報を分析しながら地図上に襲来地点と時間をプロットしていった。
 結論はすぐに出てしまった。おそらく日本近海に複数の空母機動部隊が出現していた。帝国海軍の戦力は日本近海の制空権を危ぶませるところまで来てしまっているのだ。
 大井中佐は大きく息をしながら背を伸ばした。随分長い間報告書と向き合って作業していたものだから体のあちらこちらかに鈍い痛みがあった。
 だが痛みを感じる前に大井中佐は背後の人影に気がついていた。慌てて振りかえると護衛総隊司令長官の野村大将が立っていた。敬礼しようとする中佐を手で制すると野村大将はさびしそうな声で言った。
「参謀長がいないと随分司令部が広く感じられてしまうねぇ」
 大井中佐も周囲を見渡しながら頷いた。護衛総隊総参謀長を務めていた山口中将が連合艦隊に移動していったのはこのあいだの話だった。おかげで代わりの参謀長が来るまでの間は大井参謀たちが肩代わりをするしかなかった。
 参謀たちのまとめ役である総参謀長が不在というのも奇妙な話だった。それでなくとも護衛総隊は業務が山積みなのだ。それに山口中将は数少ない護衛総隊が創設された当時から在籍しているスタッフだった。中将は船団護衛戦術の先駆者であると共に、護衛総隊のヌシともいえる存在だった。護衛総隊にとって見れば中将の不在は大きな痛手だった。
「しかし連合艦隊も勝手なものです。今まで護衛総隊を軽視しておきながら情勢が悪くなるとまるで手のひらを返したかのようになるのですから。松型の建造ラインを奪うだけならまだしも山口参謀長まで連れて行くとはどういうことでしょうか?
 山口参謀長もなぜ連合艦隊から捨てられたのにまた復帰辞令を素直に受け取ったのか、自分には理解に苦しみます」
 大井中佐は憤懣やるかたないという表情でいった。不満さを隠すつもりもなかった。野村大将にこんなことを言ってもどうしようもないのだが、やり場のない怒りが大井中佐をすさんだ気持ちにさせていた。野村大将はそんな大井中佐をさとすように落ち着いた表情でいった。
「山口君には彼なりの考えがあるのだろう。彼が護衛総隊に来るまでには複雑な事情があったからね。それに明らかにしておくけれども山口君は決して左遷されて護衛総隊に来たわけではないんだがね」
 大井参謀は首をかしげた。聞いた話では山口参謀長が護衛総隊一本できたのは若いときに軍令部に逆らってしまったことが原因だということだった。野村大将はしばらく迷っていたが、しばらくしていった。
「多分、山口君は自分だけが生き残ってしまった贖罪の為に護衛総隊を作ったんだ」
 遠い目をして窓の外を見る野村大将に大井中佐は何もいえなかった。山口中将が欧州で沈没した駆逐艦から唯一救助されたと言う話は聞いていたが、詳しい事情は誰も知らなかった。ただ、酒の席で珍しく酔った様子の山口中将が誰かに謝っていたことは覚えていた。
 ――確か、あの時は公表できなくてすまないとかいっていたな・・・何か事情があったのだろうか?
 考え込んだ様子の大井中佐を一瞥すると野村大将はいきなり話題を変えてきた。
「大井君、極最近の・・・そうだな、ここ2週間ぐらいの敵空母の動向を探ることは可能かね。船団護衛についている艦からの報告書からある程度類推することは可能だと思うが」
「それは・・・可能ですが、恐ろしく精度が悪い情報にしかなりませんよ。護衛艦からの報告書には確かに襲撃機の機種も書き込まれる様に規則ではなっていますが、最近では兵員の質が下がっていますから対空戦闘中に機種を正確に判断するのは難しいでしょう」
 護衛総隊では開戦前から兵員の教育に関しても研究を行っていたが、それでも兵員を急速に補充するのは難しかった。それに新兵の配属では護衛総隊はいつも最後だった。その前に連合艦隊がほとんどの優良兵を連れていってしまうものだから、護衛総隊にまわってくる兵隊は制限年度ぎりぎりの予備役や体力に劣ったものばかりだった。
 護衛総隊ばかりではない、日本軍全体で見ても兵員の供給システムがうまくまわっていないことは確実だった。すでに帝国の体力は限界に達していたのだ。
「いや、精度が悪くても構わない。本当にある程度で構わない。それでも連合艦隊に送れば何かの資料になるだろう」
「連合艦隊ですか。しかし向こうさんは護衛総隊から何か情報を出しても聞く耳を持たないのではないですか?いままでも連合艦隊に送った情報が活用されたためしは無いですから」
「いや、今となっては連合艦隊もそれどころではないだろう。連合艦隊司令部にしてみればどんな情報であっても藁にもすがる思いになるだろうな」
 心なしか声を潜めている野村大将に大井参謀は不審に思って訪ねた。自分の知らない間に何かあったのかもしれない。それを聞くと野村大将は驚いていった。
「なんだ、参謀は聞いていなかったのか。昨日、米戦艦群が硫黄島に襲来した。しかも今度は居座るつもりらしい。どうやら上陸作戦が行われる様だな」
 大井中佐はそれでも疑問が解けなかった。硫黄島に上陸作戦が行われるであろうことはあらかじめ予想できていることだった。そしてかわいそうだが海軍はこれを見捨てるしかないだろう。しかし野村大将はまだ理解できないでいる大井中佐ににやりと笑っていった。
「連合艦隊はやるつもりだよ。残存戦艦を全てつかって硫黄島に上陸するであろう米上陸兵力を砲撃するらしい。連合艦隊はここで米軍を叩いて士気を挫くつもりらしい。これがうまくいけば米軍の上陸戦力を激減させることも可能だぞ」
 大井中佐は呆気にとられて野村大将の顔を見つめた。よくは分からないが、硫黄島はそれほど価値のある島ではなかったはずだ。うまく成功すれば米軍の戦力を削ぐ事が出きるが、失敗すれば海軍は主力艦のほとんどを失うことになるだろう。


    1945年 2月18日 呉

 大石中佐は海図室から出た時漸く日が暮れていたことに気が付いていた。今日の午後早くに海図室に入ったはずだからほとんど半日海図とにらみ合っていたことになる。別に作戦海域までの航路が特別なわけではない。変針点も少ないし、それはすぐに決定することが出来た。むしろ問題なのは付け焼刃で編制された艦隊で無事にたどり着けるかと言うことだ。
 目標地点である硫黄島まで三日かける予定だった。しかし大石中佐はこの予定が守られるとは考えていなかった。呉に終結している第一遊撃部隊は臨時編制の寄せ集めにも等しい部隊だった。連合艦隊の戦闘可能な大型艦艇の全てが終結していた。
 それはいいのだが、中には護衛総隊から引っ張ってきた松型駆逐艦やレイテ湾での損害が完全には修理されていない長門のような艦まであった。しかも随伴する駆逐艦の大半は建造されて間も無い橘級だった。護衛駆逐艦である松型の改装型に過ぎない橘級の戦力的な評価は別にしても、乗組員の訓練すらまともに行えない状況で艦隊行動などとれるのだろうか、大石中佐には疑問だった。
 結局、大石中佐は航海参謀と付きっきりで油の補給などに関する打ち合わせに半日かけるはめになってしまった。元々大和と艦隊行動をとっていた第二水雷戦隊などは補給に関するデータにも不足しないが、新たに編制された第31戦隊は構成艦艇のほとんどが橘級だから航続力や航洋力に関するデータが不足していた。
 おそらく洋上で補給をすることは無いと思うが、万が一と言うことも考えられる。原型となった松型と比べて橘型は主機の出力が大きいから燃料の消費も大きくなるはずだった。しかし武装を強化するために燃料タンク自体はそれほど大型化していない。だから航続距離は短くなっているはずだが、それに関する正確なデータは存在しなかった。
 戦局の悪化により細かなデータを得ることが出来なかったのだ。一応は松型と比較してある程度の予想は立てられているが、細かな数値は当然変わってくるだろう。それを考慮して計算するうちにこれだけ時間がかかってしまったのだ。
 大石中佐はあくびをこらえながら艦橋を目指した。本来なら就寝すべき時間だったが感情が高ぶってとても寝ることは出来無さそうだった。どのみち出港までそれほど時間は無い。すぐに起きるくらいなら艦橋につめていたほうがいい気がしていた。
 だが、艦橋に歩いていた大石中佐はすぐに眉をしかめて立ち止まった。後ろからどたどたと駆けてくる音がしたからだ。大和艦内でこんな間抜けな音を立てて走るのは一人しかいなかった。大石中佐は苦りきった顔で後ろを見た。予想したとおりにすぐに西園寺大尉待遇が見えた。
 西園寺は新たに設置された試製電探の操作員として配属されていた。その試製33号電探は西園寺が助手を勤める東北大学電波研究室と技術本部が合同で開発したものだった。性能的には今までのものより各段に上がっているらしいのだが、その分デリケートな操作が必要らしく操作に当たる兵員の教育がままならなかった為に臨時の措置として開発スタッフを操作員として採用したのだった。
 その電探操作班の班長を務める西園寺は、大石中佐の前で立ち止まるといつもの様にしまりの無い笑みを浮かべながらいった。
「ああ、丁度良かった。航海長、申し訳無いのですけれども航海中の電探使用について少々打ち合わせをしておきたいのですが」
 大石中佐は面食らって訪ねた。たしか航海中は電探の使用は基本的に禁止されるはずだった。闇夜に提灯をわざわざ掲げることも無いという判断からだ。基本的に電探で敵を探知するよりも逆探で電波を捕らえる方が用意だからだ。
 それに航海中の電探使用とはいってもそれが艦長ではなく航海長の自分とどう関係してくるのかよく分からなかったのだ。だが西園寺は笑みを崩すこと無くいった。
「いえいえ、そうではなくてですな、航路上の障害物とか、味方の艦の位置とか、そういった情報を何処に伝えるのか曖昧な部分がまだ多いものですから、艦橋につめる航海長に話しておくべきことがまだ多いと思いましてね」
 西園寺はそう言いながらも先に艦橋に歩いていった。大石中佐は一度ため息をついてから付いていった。
「それで、あの新型電探はどれだけの物体をどれだけの距離で探知できるのかな?」
「さて、航海中にやってみないと分かりませんな。大和のような大型艦に据え付けるのはこれが始めてですから」
 その返答に大石中佐は呆気にとられていた。まさか電探の試験までしていないのだろうか。だが西園寺は何でもないかのようにいった。
「33号電探は性能は格段に優れています。それは開発者である私が保証します。ですが何分試作段階のものですから安定した性能は保証できかねます。もちろん熟達した操作員さえいれば今までの電探とは違うことをお見せできますよ」
 西園寺はさらにその電探を大和と武蔵の二隻分用意するのがどれだけ苦労したのかを長々と語り始めた。正直いって大石中佐にはどうでもいい話だったが、少しでも話の腰を折ると西園寺はそこから更に長話が始まるのだ。だからここは右から左に話を聞き流すのが一番話を早く終わらせる方法だった。
 扱いに面倒な男だったが、有能なのは間違いなかった。だから話を聞き流していた大石中佐だったがいつのまにか西園寺の話は電探から遊撃部隊に話題が移っていた。
「33号電探もそうですが、この艦隊編制も随分と急な話ですな。我々第一部隊はともかく第二部隊は航行するだけで随分と苦労しそうですな」
 大石中佐は思わず窓の外に浮かぶ長門以下の第二部隊を見た。第一遊撃部隊は大きく二つに艦隊を分離していた。長門、伊勢、日向の三隻を主力とする第二部隊と大和、武蔵、榛名を主力とする第一部隊だった。二つの部隊はそれぞれの航路で硫黄島を目指しどちらか生き残った方が硫黄島に上陸するであろう米軍を叩くことになっていた。
 だが実質上第二部隊は、制空権の無い中で第一部隊を無事に硫黄島にたどり着かせる為の囮部隊だった。その証拠に第一部隊に所属する艦艇は比較的高速な艦ばかりだった。随伴する駆逐艦は言うに及ばず、高速戦艦として起工された大和級でも30ノットは出せるのだ。もちろん速力の優位がそのまま戦力の優位につながるわけではないが、艦隊の基準速度を上げられる利点は大きかった。
 それに対して第二部隊は雑他な艦で構成されていた。旗艦である長門は長らく連合艦隊旗艦とされていた戦艦だが、米海軍に長砲身40センチ砲装備の戦艦が次々と就役している中では旧式化は免れなかった。伊勢級は長門級よりも更に古い時代の艦だから戦艦の数だけは合っていても戦力的には第一部隊と大きな差があった。随伴する水雷戦隊所属の艦も第一部隊と比べると旧式化したりした艦ばかりだった。
 ようするに連合艦隊は、レイテ沖海戦の小沢部隊のように派手に第二部隊を動かして、その隙に第一部隊を硫黄島に接近させるつもりなのだ。
 だが大石中佐はこの作戦に不安を抱いていた。米軍もレイテ沖での戦訓を得ているはずだ。あの時のハルゼーのようにうまく第一部隊に食らいついてくれれば良いが、そうでなければどうするのか。それ以外にも航空兵力をどうやってしのぐのか。だがいまさら不安になってもどうしようもなかった。作戦はすでに中止しようがないところまで来ていた。



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