プロローグ:第一世界大戦余波






    1919年 2月1日 東京、海軍省

 宮元造船中尉は海軍省の重苦しい雰囲気が好きではなかった。特に今の様に軍令部と軍政部が勢揃いした会議ではなおさらだった。さらに実質上の部長の鞄持ちで特段発言することがあるわけではないという状況も何となく嫌な気がしていた。
 別に海軍省の内部が特別に薄暗いとか、湿気が激しいというわけでは無い。会議の出席者が見せるくらい表情が宮元中尉の気分をも重苦しくしているのだった。
 だがそれも当然だった。会議では地中海に派遣した第二特務艦隊の大被害に伴う問題が話し合われていたからだ。問題と言っても単一のものではない。被害を受けた駆逐艦の基本設計に問題は無かったか、さては第二特務艦隊司令部の作戦指揮に問題があったのではないか。
 どうみてもこれだけ広範囲に及ぶ問題を議論するにはあまりにも時間が足りなかった。というよりもこれはそれぞれ各個に議論されるべき問題だった。だが関係者にとって見れば第二特務艦隊の損害は単なる所属艦艇の喪失という以上の意味を持っていた。それは海軍をも襲った第一次大戦の終了に伴う軍縮の動きのせいだった。
 後に大正デモクラシーと呼ばれることになる急速な民主化は、日清、日露戦争を戦い抜いた帝國陸、海軍に急速な軍縮を要求していた。海軍省にしてみれば第二特務艦隊が受けた壊滅的な被害と軍縮は大きな打撃だった。
 このままでは海軍は戦没した駆逐艦の補充を行えないまま軍縮の波を受け、バランスの悪い海軍になってしまう。それどころか第二特務艦隊の被害そのものが軍縮の口実となってしまう恐れすらあった。
 だからこそ第二特務艦隊の被害は各個に語られるべき事象では無かった。しかし軍令部や艦隊勤務者の内でそう考えているのは一部の水雷関係者だけだった。海軍軍人の花形ともいえる砲術関係者などは冷ややかな目で見るだけだった。彼らにしてみれば、張りきって欧州まで遠征しながら列強の前で大恥をかいてきた第二特務艦隊は海軍の面子を汚した無能者に見えるのだろう。
 さらに状況を混乱させるのは第一次世界大戦でその片鱗を見せ始めた航空機の関係者だった。会議はそれぞれの派閥の思惑を秘めて、宮元中尉が重苦しく感じた雰囲気で進んでいた。
 会議は開始から何時間もたっていた。次第に出席者の口数が減っていった。そして最後に誰かの発言が終わっても誰も喋ろうとはしなくなった。すでに誰もが自分の、つまりは自分が所属する部局の意見を述べ終えていた。元々この会議で全てが決まるわけではない。今回の会議は、この案件では一回目のものだから、この会議はそれぞれの立場を明確にする以外の意味はそれほど無い。宮元中尉はすでに会議が終わったものと判断して帰り支度を始めていた。周囲でも参照した書類などを片付けるものがおおかった。会議はほとんど自然解散といってよかった。
 だから末席にに座っていた若い兵科士官が手を上げた時、誰もそれが発言をするためだとは考えていなかった。戸惑ったような周囲の声を無視すると、その将校は起立していた。
「失礼ですが、各部部員の方々は第二特務艦隊の被害を何やら隠したがっておるように見えましたがそれは何故ですか」
 淡々とした口調に出席者はそれぞれ顔を見合わせた。一個駆逐隊が僅か一回の会戦で全滅したと言う事実は確かに部外に秘められていた。もちろん駆逐隊が戦没したという事実を消せるわけではないから事実の隠蔽とはいってもそれほど大規模なものではない。勿論、駆逐隊の全滅が伏せられているのは海軍の面子や後の予算獲得の意味があったからだ。
 顔を見合わせ合っていた面々だったが、代表するかたちで軍令部の参謀がいった。
「君が何を言いたいのかは分からん。だが理解していないものが君以外にいないともいえないのでここで明らかにしておく。第二特務艦隊の被害についての外部への発表は一元的に軍令部が行っており、被害状況に関してはあまりにも衝撃が大きいことから、それぞれの艦は護衛中に触雷したと発表している。
 これは、国民に対して無用な衝撃を与えぬ様にとの判断からである。幸いなことに海外の報道機関も報道が遅れたことから一度の合戦で壊滅したなどという不名誉な話は流れておらん。ここに出席に方々も無用の情報を与えぬ様に重ねてお願いする」
 その参謀は不名誉な話と言うところを強調した。その時になってようやく宮元中尉は立ち上がった将校が第二特務艦隊付きであることに気が付いていた。その将校(大尉の階級章をつけていた)は参謀が言い終わると同じに反論を返した。
「どうやら参謀は勘違いをしておられるようだ。小官が申したいのは外部向けの粉飾された状況が海軍内でも流れるのはいかがなものかということです。無用な衝撃と先ほど参謀はおっしゃられたが、海軍内でさえその無用な衝撃とやらを錦の御旗にして結果を隠しては為にならんのではないかと小官は愚考します」
「では君はどうしろと言うのかね?すでに海戦の結果は軍令部でも検討が始まっている。これは小型水上艦の対潜水艦戦という側面から見れば貴重な戦訓となるだろう。以上だ」
 話はここで終わりとしらけた表情の参謀が言うと、何人かが立ち上がって会議室を出て行こうとした。最後にハプニングはあったものの会議は終了した。
 しかし発言した大尉は座ろうとしなかった。
「果たして軍令部だけで戦訓の確認などできるものでしょうか?」
 その大尉は淡々とした口調でいったが、それを聞いた参謀は流石に嫌な顔になっていた。貴様らが失敗したからその尻拭いをさせられている。口には出さないが、軍令部の参謀がそう考えているのは間違い無かった。
「小官は別に軍令部の能力についてとやかくいうつもりは有りません。しかし軍令部だけでの調査では十分な戦訓を得ることは出来ないのではないかと申し上げたいのです」
 帰りかけていたものの足が完全に止まっていた。全員がその大尉に注目していた。それに気がついた参謀は会議の終了を宣言した。これ以上大尉に何かを言わせるつもりは無いようだった。だが、そこに上座に座っていた老人から声がかかった。
「まぁいいだろう。もう少しばかり彼の言うことも聞いてあげようじゃないか」
 参謀があわてて老人に向き直った。
「しかし元帥、会議はすでに終了しております。山口大尉の話は後ほど私が聞いておきますので・・・」
「なに、じつはわしも彼の話に興味があるだけだ。彼は第二特務付きだったのだろう。ならば欧州での戦訓を聞くも良いじゃろう」
 さすがに軍令部の参謀といえども、日本海軍の誇る軍神とも語られる老人の言葉には逆らえなかった。大尉を睨みつけながらも発言を促した。まわりのものも戸惑った様子ながらも席に戻っていた。
「有難う御座います閣下。ではかいつまんで説明しますが、小官が欧州で感じたことと致しましては我が海軍が従来もっていた戦略が綻びつつあるのではないかという事なのです。
 欧州大戦ではさまざまな新兵器が姿をあらわしました。潜水艦や航空機、それに陸上ではタンクという鉄の化け物が戦場に姿をあらわしました。これらの新兵器はこれからの戦場を大きく変える力を持っております。
 言うまでも有りませんが、我が軍に限らず世界中の海軍は敵の艦隊を撃滅し制海権を奪取する事を目的としております。しかし、これからは敵の艦隊を撃滅することが必ずしも制海権の奪取にはつながらなくなると考えます。それを可能にするのが先ほど申し上げたような新兵器であります。
 例えば、先の大戦でも見られたことですが潜水艦は主力艦隊が壊滅した。もしくは存在しない海域であっても商船程度であれば容易に沈めることが出来ます。また大戦によってその性能が向上した航空機も見逃せない存在でしょう。水上機が島影にでも隠れていればやはり潜水艦と同じような脅威になります。
 これらに対抗する為には海軍の抜本的な改革が必要です。いままでの艦隊編制や戦術ではこれらの新兵器がとるであろう戦法に対応することが出来ないと思われます。
 この改革は戦法や編制だけでどうにかなるものでは有りません。海軍の艦艇もこれに合わせた設計を施すべきです。より正確に言えば今までの決戦指向ではなく商船護衛も視野に入れるべきです」
 大尉が言い終わると待ちかねていた様に参謀が勢い込んで反論しようとした。しかしそれよりも早く宮元中尉の前に座っていた部長が大尉に尋ねた。
「なるほど、大尉の話はもっともだと私も思う。だが現実問題として海軍艦艇を護衛任務向けに設計するのは非常に難しいと言わざるを得ないだろう。今までの決戦指向が必ずしも間違いとは言えないからだ。まぁ僕は技術屋だから戦術の話については触れないでおくが、艦艇建造に絞ってみても話は難しいと言わざるを得ないね。先の大戦を除けば船団護衛というのは元々前例のない話なのではないかな?」
 そう温和な口調で部長がいうものだから軍令部参謀も口を挟む機会を逸してしまった。もっとも部長にしてみればそういう効果を意識した上での発言だった。部長のすぐ後ろに控えていた宮元中尉には部長が心なしか楽しそうにしているのが分かった。意外に食えない狸のような親父だった。
「自分も決戦指向が全て間違いだとは考えておりません。戦艦などのような大型艦艇ではどのみち小回りが効きませんから護衛任務につくことは出来ません。
 それに護衛任務につく艦艇は損害が大きくなることが予想されます。戦艦では代えが効きませんが、駆逐艦程度の小艦艇ならば代替艦を用意するのは容易です。これらの艦は平時にはそれほど必要ありません。ですから駆逐艦や航洋力の有る海防艦を有事において急速に造艦する態勢を取っておけばよいことになります  そこで小官は最大でも軽巡洋艦クラスまでの艦艇で構成する護衛隊の設立を進言致します。これは対潜、対空任務などに特化し、主力艦隊の制圧下にある海域での敵の便衣兵的な活動から商船等を護衛することを目的とします。
 もちろんこの艦隊に所属する艦艇は主力艦隊である連合艦隊から離れ、独自の兵装をもって任務に当たることになります。また平時においては艦隊は急速造艦の可能な体制を維持し、商船護衛の研究と兵員の育成に努めることになります」
 部長はそれを聞いて満足そうに頷いたが、会議に参加する何人かは露骨に眉をしかめていた。新組織の編制などは艦隊付きの士官が扱うべき事象ではないからだ。だが明らかに他の何人かは大尉の案に興味を示していた。従来の型の編制で戦闘に赴いた第二特務艦隊の壊滅が彼らを翻意させたとも言える。
 結局そこから先はまともな会議にならなかった。あちらこちらで私語が飛び交い、激論が繰り広げられた。そのなかで宮元中尉はふと最初の一石を投じた大尉をみた。大尉は椅子に腰掛けたまま目を瞑っていた。
 その大尉がこれから順当に昇進する可能性は少ない。それどころか軍令部の逆鱗に触れて予備役に編入されると言うことも十分に考えられる。おそらく大尉もそのことは理解しているのだろう。
 大尉は今は何を考えているのか、感情の消え去った顔からは宮元中尉には読み取ることが出来なかった。だが、何となく大尉は戦死した戦友達に話しかけているように思えていた。

 会議で発言した大尉に関する予測が外れたのを宮元中尉が知ったのは随分時間が経ってからのことだった。
 その時すでにワシントン軍縮条約が締結されていた。主力艦の建造と保有を制限した条約によって帝国海軍の編制が大きく変化しようとしていた。それまでの八八艦隊構想は頓挫し、建艦を中止された戦艦のいくつかは航空母艦への改装が決まっていた。
 そういった動きの中では海上護衛総隊という新組織の発足はむしろ地味な動きだった。名将東郷平八郎の肝いりによって発足した海上護衛総隊は商船護衛の研究を主任務としていた。あの時会議で発言した山口大尉も海上護衛総隊の参謀に任命されていた。
 だが宮元中尉はそれを聞いても何の感慨も起きなかった。中尉は部長に命じられた海上護衛総隊向けの護衛駆逐艦の設計で大忙しだったからである。

 大日本帝国が米国との開戦に踏み切ったのはそれから二十年後の1941年のことだった。



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